2020年8月の記事一覧
いつでも、夢と向上心を もって前進しよう
「コロナ」の時、改めて医師の資質を考える
呼吸器内科専門医 吉野 悦子
初めまして、吉野悦子と申します。屋代高校を卒業し、はや20年以上たちました。卒業後は自治医科大学医学部で学び、現在は内科医として働いています。
医師として15年以上たちましたが、時節柄、改めて医師になる資質とは、と考える時、それは「責任感」「思いやり」があるかどうかではないかと思います。医師の判断で人の命が左右され、また思いやりがなければ、病人と向き合えないからです。
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では、私の高校時代を振り返ってみましょう。決して勉強ばかりではなかったように思います。毎日、自転車通学片道10㎞、剣道部に所属していました。思春期とも重なり哲学的なことも考え、勉強以外にもたくさんのことを学ぶことができた時期でした。
小学生のころから、アフリカの医療に恵まれない子供たちを見て医師になりたいと思っていました。スポーツで培った体力と集中力で、誰よりも強い気概をもって勉強に取り組みました。このころの勉強方法は、少し難しいレベルかつ良質の問題集を何回もする方法でした。数学と物理については、たいていの問題は解けるくらい理解を深めていたように感じています。英語は決して好きなほうではありませんでしたが、参考書の長文を読み込むことでレベル到達していたように思います。
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ところで、勉強は何のためにしていると思いますか?
学問は見識を広め、人生を豊かにしてくれます。一歩社会に出れば、答えのない問題ばかりです。自分で考え責任を持ち行動できるよう、まずは基礎学力が必要なのだと、今になると理解できます。勉強は社会に出るための一歩です。その後も答えのない勉強が続くのです。
今般のコロナ禍では、高校生の皆様も大会目標がなくなってしまったと聞いており
ます。特に高校3年生にとっては、人生の一つ目の転換期ともいえる時期です。「念ずれば花開く」夢はありますか?いつでも夢を持っていてください。それに向かって努力してください。自身が納得する努力をしたら、いつか、必ず納得できる結果を出すことができます。後悔しないよう、よき仲間と共に切磋琢磨し前進していけるよ、蔭ながら応援しています。
よしのえつこ氏(旧姓中曽根) 上山田小―戸倉上山田中出、高校第48回。自治医科大学医学部を卒業後、診療所、自治医科大学附属病院、聖路加国際病院等の勤務を経て、現在東京亀田総合病院・京橋クリニック勤務。呼吸器内科及び総合内科専門医で、主な論文に「気管支肺胞洗浄液のRT-PCR検査により診断しペラミビルが有効であった重症インフルエンザA(H1N1)肺炎の1例」などがある。
私にも最後の夏 (甲子園県予選)がなかった
大学野球では全国優勝 !
(註 1)たきざわようじ氏。高30回、千曲市立埴生小学校教頭から、平成28年度昭和女子大学に移り、教育相談・カウンセリング学を講ずる。同29年5月逝去。
新潟リハビリテーション病院 院長 山本智章
40数年前の夏の日に想いを馳せています。
当時、長野県は12学区制が導入されて屋代高校も進学校として新たな時代を迎えていた。そんな中でも、野球班は質実剛健をモットーにどの班より過酷な練習に耐え、甲子園を目指していた。文武両道とは程遠い高校生活の中で、いつのまにか班員が8人という存亡危機になったが、そんな時2年の秋から登場した赤地憲一新監督が選手の自主性を重んじるという、当時の高校野球に新風を吹きこみ、まさに屋高野球班の新たな伝統の始まりだったように思う。
迎えた高3年の春、滝沢洋司キャプテン(註1)を中心に力をつけ、春は北信のベスト4になった。しかし背番号1をもらっていた私は、練習試合で脚を骨折し、戦線離脱することになり、走ることもできない失意の中で最後の夏は代打で(註2)高校野球は終焉した。
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でも野球への情熱は消えることなく、浪人生活を経て新潟大学に進み、医学部野球での全国大会優勝、全日本準硬式野球大会に北信越代表で出場し、東京6大学の法政大学に勝利するなど、高校野球の経験がその後の自分の人生を彩ってくれたことを感じる。
今振り返れば野球は、場面、場面でいつも新しい仲間との出会いと絆を構築してくれた。今も病院の業務の傍ら、新潟県高野連の医事顧問として、子どもたちの野球を医療の立場からサポートしている。
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今回のCOVID-19の破壊力は大きく、誰もが経験したことのない影響を私たちの日常にもたらしている。私は病院の責任者として、今自分がすべき優先順位は何かを考えながら日々緊張の毎日が続く。いつか普通の日常が取り戻せる日まで、耐えなければならない。
こんな時に思い出すのは、日が暮れて屋高の真っ暗のグランドで練習の締めくくりに、整列して歌っていた、夏の甲子園の歌「栄冠は君に輝く」だった。その3番を紹介する。作曲者は朝ドラの「エール」古関裕而、作詞は加賀大介―
♪空を切る球の命に 通うもの 美しくにおえる健康、若人よいざ 緑濃き しゅろの葉かざす 感激を瞼に描け ああ栄冠は君に輝く ♪
屋高のグランドで皆さんが追いかけてきた白球は、まさに健康の象徴だと思う。残念ながら、この夏の高校総体も甲子園も中止になってしまったが、野球もスポーツもまだまだ続く。1、2年生は新たな夏に向けて、3年生は次のステージに向けて、健康でスポーツを楽しむことの喜びを取り必ず戻して欲しい。そして、これからの日本のリーダーとして、皆さんの後に続く子どもたちの希望となることを期待する。
(註 1)たきざわようじ氏。高30回、千曲市立埴生小学校教頭から、平成28年度昭和女子大学に移り、教育相談・カウンセリング学を講ずる。同29年5月逝去。
(註 2)代打で3塁打性の当たりを放つが、走れない為に単打に、次の打席も安打を放ち2打数2安打。
やまもとのりあき氏。松代中出、高
30回、高校時代は投手、四番打者で活躍。新潟大学医学部に進学し、昭和55年(1980年)の東日本医学大会で決勝戦を完封し、優勝投手に。「骨組織に対する薬剤と運動の相互作用」で医学博士。米国ユタ大学整形外科教室への留学を経て現職。日本体育協会公認スポーツドクター、新潟市野球連盟副会長。「新潟野球サミット2018」で、栗山秀樹監督(日ハム)・長島三奈氏と共に講演して、全国に先駆けて高校野球投手の球数制限導入を提唱した。