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屋代高に新たなシンボルが誕生します
まずは多目的運動広場が完成
教育者としての長谷川五作先生(その二)
教育者としての長谷川五作先生(その二)
会長 赤地憲一 (高17回)
平成28年を迎え、謹んで新しき年のご挨拶を申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
さて、創立以来長年の懸案となっている同窓会館の建設について、平成25年の創立90周年記念事業においては「状況が整い次第、建設に着手すること」としておりますところですが、格別なご配慮をいただいている地主様のご意向を踏まえ、附属中学校に喫緊の課題となっている運動広場の造成に長野県が着手した時、と思料しておりました。この度、塩野校長先生、大内事務長様、長野県当局の格別なるご支援を賜り、多目的運動広場(註1)として完成いたしましたことから、いよいよ会館の建設に着手したいと存じます。昨年末には、臨時支部長会議を開催いただき、そのご承認を賜りましたところでございます。
◆
これまで、同窓会による記念事業は、それぞれが見事に結実して、滔々たる大河の如く、未来に向かって発展を続ける母校に輝かしい歴史を刻んで参りました。これら諸事業の達成は、平素潜在している会員一人ひとりの母校への矜持と、「魂のふるさと」への強い思いの結晶であり、その心情には、改めて感銘を深「モロコシの掛け合わせ実験くしている者でございますが、本年は、まさにその機が熟した時であります。県下初の公立一貫校に入学した附属中学生80名が、全員揃って高等学校に進学した記念すべき年度でもあり、7年後の「創立100周年記念事業」への準備基金と併せて、倍旧のご支援を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
◆
「会報鳩63号」において、瀬在幸安博士の長谷川五作についての懐旧談から、「教育者としての長谷川先生」について書かせていただきましたところ、先輩諸氏から「長谷川五作先生」像をお伺いする機会に恵まれました。まず、原利夫氏(高校6回・倉科)からは、先生の授業についてなど、授業がとにかく楽しかった。土口に在住の飯島誠君や雨宮の前山公一君(故人)は、徒歩で来るので、ほとんど毎日遅刻をしたが、長谷川先生の授業の時は、始業前に教室に入って待っていた。実験は厳しく指導されたが、そのあとは各自の興味関心に任せてくれ、リベラルな雰囲気だった。」
また、海沼寛夫氏(中学20回・西条)からは、昨秋ご書面を賜り、そこには長谷川先生への尊敬と敬慕の念が便箋3枚に綴られ、その感動は心に残ります。紙面の都合で次回に書かせていただきます。
◆
高校卒業生に贈る、長谷川五作先生の遺伝学的資質論
長谷川五作先生の以下の教育論(註2)は、ちょうど100年前に書かれたものであるが、これほど見事な遺伝学的教育論を他に知らない。卒業を迎えた諸君に捧げたい。
「良い遺伝的能力を享けぬが最後、どうすることも出来ぬように悲観する者もある様であるが、之はまことにつまらない考えである。吾々の能力は遺伝で決まって限られて居るというべきだが、併し発達し得るべき可能の範囲が極めて広いことも考えねばならぬからである。吾らは寧ろ、幼年時代の楽観にかえり、世の中のどんな大きな仕事でも出来るという雄大な考えを持たなければならない。機会・遺伝・境遇等は、吾々の前途を制限する事実であるが、其の制限は人々が思うような狭いものではない。絶対限度の半ばにも達し得ないで殆どの者は終えるであろう。」
(註1)
(註2)屋代高同窓会編(昭和43年)『長谷川五作先生著作選集』「生物と遺伝」信濃教育N 』大正4年、1915年)
平成28年を迎え、謹んで新しき年のご挨拶を申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
さて、創立以来長年の懸案となっている同窓会館の建設について、平成25年の創立90周年記念事業においては「状況が整い次第、建設に着手すること」としておりますところですが、格別なご配慮をいただいている地主様のご意向を踏まえ、附属中学校に喫緊の課題となっている運動広場の造成に長野県が着手した時、と思料しておりました。この度、塩野校長先生、大内事務長様、長野県当局の格別なるご支援を賜り、多目的運動広場(註1)として完成いたしましたことから、いよいよ会館の建設に着手したいと存じます。昨年末には、臨時支部長会議を開催いただき、そのご承認を賜りましたところでございます。
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これまで、同窓会による記念事業は、それぞれが見事に結実して、滔々たる大河の如く、未来に向かって発展を続ける母校に輝かしい歴史を刻んで参りました。これら諸事業の達成は、平素潜在している会員一人ひとりの母校への矜持と、「魂のふるさと」への強い思いの結晶であり、その心情には、改めて感銘を深「モロコシの掛け合わせ実験くしている者でございますが、本年は、まさにその機が熟した時であります。県下初の公立一貫校に入学した附属中学生80名が、全員揃って高等学校に進学した記念すべき年度でもあり、7年後の「創立100周年記念事業」への準備基金と併せて、倍旧のご支援を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
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「会報鳩63号」において、瀬在幸安博士の長谷川五作についての懐旧談から、「教育者としての長谷川先生」について書かせていただきましたところ、先輩諸氏から「長谷川五作先生」像をお伺いする機会に恵まれました。まず、原利夫氏(高校6回・倉科)からは、先生の授業についてなど、授業がとにかく楽しかった。土口に在住の飯島誠君や雨宮の前山公一君(故人)は、徒歩で来るので、ほとんど毎日遅刻をしたが、長谷川先生の授業の時は、始業前に教室に入って待っていた。実験は厳しく指導されたが、そのあとは各自の興味関心に任せてくれ、リベラルな雰囲気だった。」
また、海沼寛夫氏(中学20回・西条)からは、昨秋ご書面を賜り、そこには長谷川先生への尊敬と敬慕の念が便箋3枚に綴られ、その感動は心に残ります。紙面の都合で次回に書かせていただきます。
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高校卒業生に贈る、長谷川五作先生の遺伝学的資質論
長谷川五作先生の以下の教育論(註2)は、ちょうど100年前に書かれたものであるが、これほど見事な遺伝学的教育論を他に知らない。卒業を迎えた諸君に捧げたい。
「良い遺伝的能力を享けぬが最後、どうすることも出来ぬように悲観する者もある様であるが、之はまことにつまらない考えである。吾々の能力は遺伝で決まって限られて居るというべきだが、併し発達し得るべき可能の範囲が極めて広いことも考えねばならぬからである。吾らは寧ろ、幼年時代の楽観にかえり、世の中のどんな大きな仕事でも出来るという雄大な考えを持たなければならない。機会・遺伝・境遇等は、吾々の前途を制限する事実であるが、其の制限は人々が思うような狭いものではない。絶対限度の半ばにも達し得ないで殆どの者は終えるであろう。」
(註1)
(註2)屋代高同窓会編(昭和43年)『長谷川五作先生著作選集』「生物と遺伝」信濃教育N 』大正4年、1915年)