活気あふるる母校に敬服 「ケネデイ校長」(伊沢集治先生)のこと(その一)
会長 赤地 憲一(高17回)
令和3年度を迎え、皆様には、「コロナ」の状況下にもかかわらず、母校並びに同窓会のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
まずは、本年度総会が新型肺炎の感染状況にかんがみ、規模を縮小して開催させていただきましたこと(支部長のみ)ご了承賜りたく存じます。ご報告として、令和5年に迫った100周年記念事業について、本紙74号にて工程表でご提案したものが、また、名誉会員として、別掲載の南澤道人氏(中18―5回)、中村浩志氏(高17回)が承認いただきましたことを申し上げます。
さて、母校の令和3年度は、大学等進学実績での更なる躍進(「ユース版」参照)で明けましたが、続いてスーパーサイエンス校として、平成15年度に指定されて以来、連続5期20年間の認定が文科省から認められることになりました。高澤邦明校長先生はじめ、ベクトル方向を同じくして、生徒たちに良きご指導いただく先生方に、心よりの敬意とお慶びを申し上げる者です。
高校総体・文の県大会関係でも、ハンドボール、テニスという伝統的な班は、さて置き、弓道をはじめ6班が、県優勝、代表の栄冠に輝きましたし、サッカー班においては、「強豪私学6校+公立2校」でのベスト8の仲間入りを果たしました。
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古希の半ばを歩む我々の世代(高14回生~19回生)が高校時代を顧みる時、まず想い出される恩師がいる。第10代校長・伊沢集治先生です(写真・註1)。在任は昭和36年~40年度の4年間ですが、一度でも伊沢校長の講話を耳にした者には、強烈な感動が残ったことから、着任時の三年生が高14回生、先生転出時の1年生が高19回生であるので、その思い出は、6世代約2千名に及ぶ少年達の心に刻まれた。「伊沢校長のニックネームは『ケネデイ』と言った。当時のアメリカ大統領J・Fケネデイにその風貌が似ていたからだが、その歩く姿は威風堂々と、音吐朗々とした演説はマイクの施設があるにもかかわらず、使わず、旧講堂の隅々までその巨腹から出る声がビンビンと響いた。」(註2)。我ら世代を代表としてしばらく、伊沢校長について書いてみたい。
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新型肺炎感染で予断の許さない状況の中、会員皆様の切なるご健勝、益々のご活躍をお祈りして、ご挨拶といたします。
(註1) 伊沢集治校長(下伊那郡鼎村出身、旧制飯田中学第27回・東京文理大〈筑波大学の前身〉卒、昭和43年松本深高校長から第5代長野県県教育長に就任、同
47年退任)
(註2) 『屋代高校60年史』692頁