理数科 30 周年、附属中 10 周年を祝う 「ケネデイ校長」(伊沢集治先生)のこと(その四)
会長 赤地憲一 (高17回)
令和5年が明け、母校が創立100周年を迎える年になりました。会員皆様とこの時を共有できますことを光栄に存じますと共に、「コロナ」の状況下にもかかわらず、母校並びに同窓会のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
さて、母校の創立100周年行事と併せて、理数科設置30周年と附属中開校10周年行事についても、これを周年行事に加えて実施したい旨、お願いをして参りましたが、この度挙行することができました(第1面、3面に報告)。理数科につきましては、ご承知のとおり、前会長宮﨑和順先生が県教育長時代(平成3年)、当時の県高校教育の課題であった「特色ある学校つくり」の一環として、第21代戸田正明校長が(在職中に(平成元年~3年)教職員をまとめて、導入されました。
また附属中は、平成9年の中教審答申を受けて、「6年間継続した学習の中で、学力の充実と知性の啓発、情操豊かな感性の育成」等の理念のもと、第28代堀金達郎校長先生時代に(平成19年~22年)県下初となる中高一貫教育として誕生しました。以来、県と学校関係者の格別なご支援により、共に発展を遂げておりますことは衆目の一致した評価と存じます
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我ら高14回~高19回生世代の共通の恩師とも言うべき、第10代校長・伊沢集治先生(註1)について書かせて頂いておりますが、今回はクラブ活動における「生徒愛」です。伊沢校長は、前号で「その演説は、音吐朗々とし、巨腹から出る声は、マイクなしで、講堂の隅々までビンビンと響いた。」と書きましたが、その中でも、昭和39年秋の柔道班の活躍を讃える講話は、卒業生の記憶に残ります。当時の2年生柔道班員の柳澤久氏(註2)の懐旧談です……「県高校新人柔道大会では北信で優勝し、県大会では準優勝を果たしたが、その県大会に伊沢集治校長先生が穂高商業高校まで応援に来られたのです。準優勝を遂げると、翌月曜日の全校集会で柔道班の活躍を讃えられた。」この熱情的な講話は60年前のことになるが、自分にも鮮烈な思い出として蘇ります―「本当に良くやった、本当に嬉しかった」という言葉は、講堂の窓ガラスにビンビン響きました。それにしても、単身赴任中、週末に下伊那のご自宅に帰らず、自家用車もない時代、穂高商業高校まで足を運ばれた伊沢校長を偲ぶ者です。
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新たな変異株の感染が予断を許さない中、会員皆様のご健勝と益々のご活躍をお祈りして、また今後とも母校へのご支援をお願い申し上げて、ご挨拶といたします。
(註 1)伊沢集治校長(下伊那郡鼎町出身、旧制飯田中学第27回、東京文理大〈筑波大学の前身〉卒、昭和43年松本深志高校長から第5代長野県教育長に就任、同47年退任。)
(註 2)柳沢久氏(高18回)、高校時代は軽量級で県優勝、進学した東京教育大学(筑波大学の前身)体育学部では4年次に主将として、70キロ級で全日本学生で準優勝。その後電気通信大学教授の傍ら、日本の女子柔道界に道を切り開いたパイオニアとして著名。ソウル五輪(1988年)等では監督を務めた。現在、電気通信大学名誉教授、講道館8段、同評議員