三年ぶりの総会開催に感謝申し上げます 「ケネデイ校長」(伊沢集治先生)のこと(その三)「師弟愛」

会長 赤地 憲一(高17回)

 国際状況が落着かないところではございますが、会員皆様にはご清祥の段、お慶びを申し上げます。「コロナ」の状況下にもかかわらず、来年に控えた100周年記念事業につきましてお願いを申し上げましたところ、早速、各位には格別なる御協力を賜っており、心より厚く御礼を申し上げます。
 さて、この2年間、新型肺炎の感染状況にかんがみ、定期総会については、変則的な開催をお願いして参りましたが、今年度は去る5月、支部長・理事の皆様70余名のご出席を賜り、開催できましたこと、心より感謝を申し上げます。議案では、100周年記念事業に向けてご審議をいだき、報告等では、ロシアの蛮行に対して、ウクライナの隣国ポーランドで国際貢献に尽力される坂本龍太郎氏(高56回)、及び先の冬季オリンピック出場の小島良太選手(高69回)からのメッセージを頂戴しましたこと、併せてご報告申し上げます。

 高14回~高19回生世代の共通の恩師とも言うべき、第10代校長・伊沢集治先生(註)について書かせて頂いておりますが、今回は、伊沢校長と宮坂直章氏(高16回、昭和49年ご逝去=29歳)との師弟愛についてです。
 伊沢校長は、生徒会長としてリーダーシップに富む宮坂氏を、折に触れ全校集会等で称賛されておりましたが、確かに彼には、爽やかな弁舌と熱情が備わり我ら後輩を叱咤激励されました。宮坂氏は弁護士になる道を選んで早稲田・政経に入学、訪れたロバート・ケネデイ司法長官(1925―1968年)の講演に感銘を受け、アメリカの司法制度を学ぶため留学を決意します。これを知った伊沢校長は「渡航費用は私が負担しよう。」と激励します。「我が家の経済状況を承知されて、温かなお言葉であったと思い、今でも頭が下がります。」と、実姉・竹内菊栄氏(80歳)の懐旧談です。宮坂氏は、伊沢校長の恩に報いるためにも、法務省東京法務局に勤務をしながら、留学準備を進めておられましたが、病魔におかされ、29歳の若さで他界されてしまいました。返すがえすも残念でなりませんが、彼の遺志を継いでいるのが、現在弁護士として活躍中の北村晴男氏です。北村氏は、直章氏の母系親族にあたり、10歳上の直章氏を中学生のころから慕い、「直章ちゃんのようになる。」と法学部に進まれました。その後のご活躍は、衆目の一致するところです。

 新型肺炎感染について明るい兆しが見える中、会員皆様の切なるご健勝、益々のご活躍をお祈り申し上げますと共に、今後とも100周年事業等へのご支援をお願いしてご挨拶といたします。
(註) 伊沢集治校長: 下伊那郡鼎町出身、旧制飯田中学第27回・東京文理大〈筑波大学の前身〉卒、昭和43年松本深高校長から第5代長野県県教育長に就任、同47年退任、平成4年ご逝去。