小島良太選手の冬季オリンピック出場を讃える 「ケネデイ校長」(伊沢集治先生)のこと(その二)

会長 赤地 憲一(高17回)

 令和4年を迎え、会員皆様には、益々ご清祥の段、心よりお慶びを申し上げます。「コロナ」の状況下にもかかわらず、母校並びに同窓会のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。令和4年が明け、創立100周年の節目も来年になりましたが、実行委員会を立ち上げ、学校とPTAと同窓会による3者の連携を確認したところでございます。「100周年史」、「会員名簿」の編集も順調に運んでおりますことをご報告申し上げます。
 さて、新年になり、2月に開催される北京オリンピックに、小島良太選手(高69回)が、その代表選手入りという快挙の報に接しました。スピードスケート1、000mですが、既に高校在学中、インターハイで4位、国体で2位入賞を果たし、信州大学教育学部に進学されてからは、2年生でその年の国体において、平昌オリンピック(2018年)で5位入賞の小田選手を抑えて優勝するなど、逸材と言われてきましたが、この度の代表選考会で見事にその実力を発揮され、1分8秒35の日本最高記録で優勝を飾りました。小島選手のこれまでのご精進に心より敬意を申し上げますとともに、創立100周年を翌年に控え、時宜を得られた快
挙を共に喜びたいと存じます。

 我ら高14回~高19回生世代の共通の恩師とも言うべき、第10代校長・伊沢集治先生(註1)について前号で書かせて頂きましたところ、さっそく先輩諸氏からお便りをいただきました。まず、書家・川村龍洲氏(驥山館々長・高16回)からは、高校3年時の思い出を承りました。県書道展で最優秀賞の栄に輝いたところ、さっそく伊沢校長からお呼びがかかり「この書を君の筆で書いてほしい。」と言われ、廣瀬淡窓の「道ふを休めよ他郷苦辛多しと・・」で始まる一節を差し出されたそうです。数日後に完成させてお届けに上がったところ、渡された熨斗袋にはピン札5 0 0 円が入っていたそうで、「当時の授業料月額が600円であったことを思うと、大層な高額であった。本当に感激した。」と述懐されています。伊沢校長は、ご自身の学生時代の親友のことを度々校長講話でお話になられたことから、この句を選ばれたものと推測している者です。

 新たな新型肺炎感染で予断の許さない状況の中、会員皆様のご健勝、益々のご活躍を切にお祈りして、また今後ともご支援をお願い申し上げ、ご挨拶といたします。
(註 1)伊沢集治校長(下伊那郡鼎町出身、旧制飯田中学第27回・東京文理大〈筑波大学の前身〉卒、昭和43年松本深高校長から第5代長野県教育長に就任、同
47年退任。)