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特別寄稿 十三代当主真田幸長氏を偲んで

いざ出陣!「真田丸」
十三代当主真田幸長氏を偲んで
       顧問 矢島 忠和(中22回)
 「真田丸」の人気故に一部の知人に次のような手紙を送りました。
 《私は高校時代、幸長氏と大変親しくさせて頂きました。氏は卓球が上手で我が社で社員らと興じたり、我が家に来られた折、香煎(こうせん=当時は田舎の庶民的な菓子)を差し上げたところ、「これは初めてのもの、おいしいですね」とおっしゃった際の、うまそうなしぐさとその庶民性が印象に残りました。
 その後私は真田邸に招かれ、真田一族と卓球を共に楽しみました。その思い出が心に浮かぶたび、親しみと品性の良さを感じ故人を偲んだものです。》
 このような内容に対し、「学生時代、よく見かけました。長身の美男子」とか「六文銭の社紋が残っている」等の返信を戴きました。今回の寄稿依頼に対し、数人の同級生に幸長氏評を求めたところ、「尊大なところなく、おだやかで手が器用な人」という声が多く、我が意を得ました。
 十四代幸俊現当主は、子供の頃、父上がラジオやテレビの解体修理をしていた姿を見て興味が湧き、これがきっかけで理系に進み、現在慶応大学理工学部教授になっております。更に歴史を顧みて、幸俊氏は、昌幸公に対し「よくぞ生き抜いて下さった。これは奇跡そのもので、そのために知略が必要であったのだ」とし、嫡男の初代当主信幸(信之)公には「真田を守り抜く、この一点に集中してくれました」と感謝しています。
 尚、歴史家の磯田道史氏は「興亡の明暗を分けるものは、教育力の差、特に競争が激しい時代にはそのレベルの違いがサバイバル力を大きく左右する。その最適なケーススタディが真田家だ」と解説しています。昌幸公の知略での対応力は素晴らしく、このような対応力を身につけることこそ教育だと感じます。
 最後に、本校は誇れる中高一貫校です。「真田丸」で学んで一層充実されますことを期待しています。
(写真:左側・筆者、右側・十三代当主 真田幸長氏)