2016年8月の記事一覧
封筒に入れられた46万円のご寄付
同窓会館建設寄付余話
高校第12回生T氏の母校への思い
去る4月1日(平成28年)、高校12回のT氏が同窓会事務局を訪ねて、封筒に入れられた36万円を差し出され、同窓会の事業に使ってほしいと言われた。
おもむろに高校3年生であった昭和34年9月のことを語られた。大型台風が長野県北信地方を襲い、千曲川が氾濫し、田畑が流されてしまった。当時の多くの家庭がそうであったように、養蚕で生計と立てておられたので、T氏のお宅でも桑畑が流されてしまったことから、ご両親は飼育途中の蚕を泣く泣く廃棄せざるを得なかった。その結果、月額600円の授業料の支払に影響が出て、家族で相談を始めていた矢先、担任の山崎寛夫先生(地理、母校ご在職:昭和33年?同42年)がこれを察知され、授業料免除の措置をとって下さった。
6か月後、無事に高校を卒業できたことに、「いつか恩返しをしたい」と考えておられたのだそうで、免除いただいた月額600円の授業料が6か月に及んだので「36」という数字で恩返しをしたい、と言われた。
これとは別に、同総会館建設寄金指定で10万円を添えられた。身につまされる先輩のご芳志に、事務局員一同感銘を覚えている。
高校第12回生T氏の母校への思い
去る4月1日(平成28年)、高校12回のT氏が同窓会事務局を訪ねて、封筒に入れられた36万円を差し出され、同窓会の事業に使ってほしいと言われた。
おもむろに高校3年生であった昭和34年9月のことを語られた。大型台風が長野県北信地方を襲い、千曲川が氾濫し、田畑が流されてしまった。当時の多くの家庭がそうであったように、養蚕で生計と立てておられたので、T氏のお宅でも桑畑が流されてしまったことから、ご両親は飼育途中の蚕を泣く泣く廃棄せざるを得なかった。その結果、月額600円の授業料の支払に影響が出て、家族で相談を始めていた矢先、担任の山崎寛夫先生(地理、母校ご在職:昭和33年?同42年)がこれを察知され、授業料免除の措置をとって下さった。
6か月後、無事に高校を卒業できたことに、「いつか恩返しをしたい」と考えておられたのだそうで、免除いただいた月額600円の授業料が6か月に及んだので「36」という数字で恩返しをしたい、と言われた。
これとは別に、同総会館建設寄金指定で10万円を添えられた。身につまされる先輩のご芳志に、事務局員一同感銘を覚えている。
篤志寄付に御礼申し上げます
・高12回T氏 46万円
(うち10万円は会館建設指定)
・高15回三八会様10万円
・株式会社TMP様 3万円
・「鳩の会」会員5名様
野口 泰軌(高5回)
牧村 浩明(高32回)
宮澤 典彦(高32回)
風間登志子(高36回)
海沼 和幸(高40回)
(うち10万円は会館建設指定)
・高15回三八会様10万円
・株式会社TMP様 3万円
・「鳩の会」会員5名様
野口 泰軌(高5回)
牧村 浩明(高32回)
宮澤 典彦(高32回)
風間登志子(高36回)
海沼 和幸(高40回)
平成二十八年度 総会開催
会館建設寄付進捗状況を報告
5月28日午後4時より、篠ノ井サトウ会館において平成28年度の総会が開催された。ご来賓として、新たに着任された森山弘之校長先生はじめ各位、及び支部長・学年理事等90余名のご参加をいただき、平成27年度事業報告・会計決算、および28年度の事業計画・予算案(別添)が原案のとおり承認された。
各回期90万円を目標に
総会に先立つ支部長会では、同窓会館建設にかかわる進捗状況が報告され、その募金のあり方や懸案となっている年会費額について意見交換が行われた。その中で屋代支部長清水昭晴氏(高21回)から、奉加帳を使っての募金活動の報告があった。「募金は母校愛と工夫次第。それがあれば支部の皆さんが快く応じてくれる」と述べた。なお、募金活動は、支部・職域等を横断的に行い、篤志家には個別訪問とすることとして、その報告は学年回期を中心になされること、回期の目標額としては、90万円を目途にすることが提案された。また懸案の「年会費値上げ」については、29年度(来年度)2,000円にすることが確認された。出席した前副会長竹内長生氏(高6回)からは「充実した総会。構成も立派」というお言葉をいただいた。
支部長歴任者へ感謝状
総会席上、二十七年度で退任された各支部長に、同窓会から感謝状と記念品(額縁)が贈られた。長年に亘り支部をまとめられ、組織の発展に寄与された各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げます。 (順不同・敬称略)
支部 お名前 (卒業回期)
戸倉 小林重之(中18―4回)
屋代 青木貞美(高5回)
埴生 宮坂仁三(高16回)
倉科 長浦新一(高14回)
松代 高尾信行(高10回)
寺尾 須田 寛(高12回)
東条 中澤光男(高9回)
塩崎 柳原義正(高11回)
新事務局長に 徳永次男氏 (高25回)
徳永氏は昨年須坂東高校校長を最後に退職。現在長野市サッカー協会会長。今回新たに事務局長の任に当たることとなった。なお、前事務局長宮原一治氏は相談役として引き続き事務局の仕事を補佐する。
5月28日午後4時より、篠ノ井サトウ会館において平成28年度の総会が開催された。ご来賓として、新たに着任された森山弘之校長先生はじめ各位、及び支部長・学年理事等90余名のご参加をいただき、平成27年度事業報告・会計決算、および28年度の事業計画・予算案(別添)が原案のとおり承認された。
各回期90万円を目標に
総会に先立つ支部長会では、同窓会館建設にかかわる進捗状況が報告され、その募金のあり方や懸案となっている年会費額について意見交換が行われた。その中で屋代支部長清水昭晴氏(高21回)から、奉加帳を使っての募金活動の報告があった。「募金は母校愛と工夫次第。それがあれば支部の皆さんが快く応じてくれる」と述べた。なお、募金活動は、支部・職域等を横断的に行い、篤志家には個別訪問とすることとして、その報告は学年回期を中心になされること、回期の目標額としては、90万円を目途にすることが提案された。また懸案の「年会費値上げ」については、29年度(来年度)2,000円にすることが確認された。出席した前副会長竹内長生氏(高6回)からは「充実した総会。構成も立派」というお言葉をいただいた。
支部長歴任者へ感謝状
総会席上、二十七年度で退任された各支部長に、同窓会から感謝状と記念品(額縁)が贈られた。長年に亘り支部をまとめられ、組織の発展に寄与された各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げます。 (順不同・敬称略)
支部 お名前 (卒業回期)
戸倉 小林重之(中18―4回)
屋代 青木貞美(高5回)
埴生 宮坂仁三(高16回)
倉科 長浦新一(高14回)
松代 高尾信行(高10回)
寺尾 須田 寛(高12回)
東条 中澤光男(高9回)
塩崎 柳原義正(高11回)
新事務局長に 徳永次男氏 (高25回)
徳永氏は昨年須坂東高校校長を最後に退職。現在長野市サッカー協会会長。今回新たに事務局長の任に当たることとなった。なお、前事務局長宮原一治氏は相談役として引き続き事務局の仕事を補佐する。
訂正
★ 64号二面「特別寄稿メタセコイアの思い出」の中で、「長谷川五作先生著作選集」の「選」がまた「長谷川五作先生をたたえる」の「五作」の脱字がありました。また、篠遠嘉人博士の「嘉」は「喜」が正しいものです。
★ 64号四面「ホームカミング報告」の「第三十四回同期会」の幹事の名は正しくは「宮坂博昭」です。お詫びして訂正致します。
★ 64号四面「ホームカミング報告」の「第三十四回同期会」の幹事の名は正しくは「宮坂博昭」です。お詫びして訂正致します。
特別寄稿 十三代当主真田幸長氏を偲んで
いざ出陣!「真田丸」
十三代当主真田幸長氏を偲んで
顧問 矢島 忠和(中22回)
「真田丸」の人気故に一部の知人に次のような手紙を送りました。
《私は高校時代、幸長氏と大変親しくさせて頂きました。氏は卓球が上手で我が社で社員らと興じたり、我が家に来られた折、香煎(こうせん=当時は田舎の庶民的な菓子)を差し上げたところ、「これは初めてのもの、おいしいですね」とおっしゃった際の、うまそうなしぐさとその庶民性が印象に残りました。
その後私は真田邸に招かれ、真田一族と卓球を共に楽しみました。その思い出が心に浮かぶたび、親しみと品性の良さを感じ故人を偲んだものです。》
このような内容に対し、「学生時代、よく見かけました。長身の美男子」とか「六文銭の社紋が残っている」等の返信を戴きました。今回の寄稿依頼に対し、数人の同級生に幸長氏評を求めたところ、「尊大なところなく、おだやかで手が器用な人」という声が多く、我が意を得ました。
十四代幸俊現当主は、子供の頃、父上がラジオやテレビの解体修理をしていた姿を見て興味が湧き、これがきっかけで理系に進み、現在慶応大学理工学部教授になっております。更に歴史を顧みて、幸俊氏は、昌幸公に対し「よくぞ生き抜いて下さった。これは奇跡そのもので、そのために知略が必要であったのだ」とし、嫡男の初代当主信幸(信之)公には「真田を守り抜く、この一点に集中してくれました」と感謝しています。
尚、歴史家の磯田道史氏は「興亡の明暗を分けるものは、教育力の差、特に競争が激しい時代にはそのレベルの違いがサバイバル力を大きく左右する。その最適なケーススタディが真田家だ」と解説しています。昌幸公の知略での対応力は素晴らしく、このような対応力を身につけることこそ教育だと感じます。
最後に、本校は誇れる中高一貫校です。「真田丸」で学んで一層充実されますことを期待しています。
(写真:左側・筆者、右側・十三代当主 真田幸長氏)
十三代当主真田幸長氏を偲んで
顧問 矢島 忠和(中22回)
「真田丸」の人気故に一部の知人に次のような手紙を送りました。
《私は高校時代、幸長氏と大変親しくさせて頂きました。氏は卓球が上手で我が社で社員らと興じたり、我が家に来られた折、香煎(こうせん=当時は田舎の庶民的な菓子)を差し上げたところ、「これは初めてのもの、おいしいですね」とおっしゃった際の、うまそうなしぐさとその庶民性が印象に残りました。
その後私は真田邸に招かれ、真田一族と卓球を共に楽しみました。その思い出が心に浮かぶたび、親しみと品性の良さを感じ故人を偲んだものです。》
このような内容に対し、「学生時代、よく見かけました。長身の美男子」とか「六文銭の社紋が残っている」等の返信を戴きました。今回の寄稿依頼に対し、数人の同級生に幸長氏評を求めたところ、「尊大なところなく、おだやかで手が器用な人」という声が多く、我が意を得ました。
十四代幸俊現当主は、子供の頃、父上がラジオやテレビの解体修理をしていた姿を見て興味が湧き、これがきっかけで理系に進み、現在慶応大学理工学部教授になっております。更に歴史を顧みて、幸俊氏は、昌幸公に対し「よくぞ生き抜いて下さった。これは奇跡そのもので、そのために知略が必要であったのだ」とし、嫡男の初代当主信幸(信之)公には「真田を守り抜く、この一点に集中してくれました」と感謝しています。
尚、歴史家の磯田道史氏は「興亡の明暗を分けるものは、教育力の差、特に競争が激しい時代にはそのレベルの違いがサバイバル力を大きく左右する。その最適なケーススタディが真田家だ」と解説しています。昌幸公の知略での対応力は素晴らしく、このような対応力を身につけることこそ教育だと感じます。
最後に、本校は誇れる中高一貫校です。「真田丸」で学んで一層充実されますことを期待しています。
(写真:左側・筆者、右側・十三代当主 真田幸長氏)