活躍する同窓生

畏友、南澤道人方丈を祝す

元山口内科小児科医院・院長 山口 昭


旧制屋代中第18―5回、松本医専(信州大学医学部の前身)卒業、医学博士。旧更級郡羽尾村のお生れで、旧姓は高村。

 コロナ感染症の感染拡大が懸念され、社会的にも不安で厳しい昨今、この度、私共の同級生(屋代中学18回卒)南澤道人方丈が、永平寺貫首と曹洞宗管長にご就任されますことは、誠に大きな喜びに存じます。

 道人方丈とは、私の生家(高村)が、彼の龍洞院の檀家の一員であったり、旧制屋代中学の同級でもあり、多くのご縁を頂いております。戦後、私の父親の他界にあたっても、道人さんにお世話になったものです。
 彼は、温厚なお人柄ですが、意志のお強い、しっかりとした方、かつ学生時代から大変優秀な賢人です。当時の中学には申合わせがあり、質実剛健がモットーでしたから、通学距離が4キロ未満は徒歩通学で、自転車は不可でした。また真冬でもオーバーコートを着ないということで、お互い通学をしていました。
 私が驚いたことは、太平洋戦争末期(昭和19年頃)に、ご長男である道人さんが、自ら海軍兵学校に進むと言われたことです。私には、その理由がどうしても判らなかったものでした。後で知ったことですが、これは、彼には兄弟が7人おり、ご尊父も病身でおられたことを自覚され、また道人さんご本人も海が好きであったことによるものでした。お父様は、道人さんの海軍兵学校に出発の際にも笑顔で見送られ、その1か月後お亡くなりになられました。お母親も1年後にお亡くなりになられ、当時彼のご心痛を想い、心よりご冥福をお祈り申し上げたものです。

 道人さんは、国内外で卓越された修行の成果を上げておられ、平成20年には、ご本山の副貫首に任命され、お山と兼ねることになりました。また札幌中央寺の住職として、国外ではインドや中国の寺院におけるご貢献、特に日韓佛教文化交流大会を主催され、その総裁を務められました。フランスにおいては、フランス佛南山観照寺を建立され、修行の場として多くのお弟子さんをお持ちです。中央寺での16年に及ぶお努めは、勿論、今回の御栄進に無関係ではなく、ご同慶の至りです。

 道人方丈は、ご高齢であることを少々気にされていらっしゃるようですが、私も同じ93歳であり、道元禅師のお示しでも、「任に当たって、他に譲りがたし」という言葉があります。道人方丈は、札幌中央寺を発たれる最後のご挨拶で「例え一日だけの命であっても、命の限りお山に精進しなければ、と心に誓った。」と仰せられました。どうか、ご健康に留意され、何時までも末永くお元気であられますよう、心よりお祈りしております。

見えぬ感染症……新型コロナウイルスとの戦い

国立感染症研究所・主任研究官  松岡佐織 氏

 今なお流行が収束する見通しが立っていない、この感染症が厄介なのは、「新型」である故、ウイルスの特性がわからないこと、感染しても無症状のことがあり、「見えぬ感染の進行」が拡大防止を難しくしている。一方、基礎医学研究者は国内の重症化率の低さに着目し、我が国の特殊事情の機序に迫ろうと研究を進めている。
 ワクチン開発については、令和2年(2020年)12月、英国で新型肺炎に対するワクチンの第一号が承認され、感染拡大防止の一手として大きな期待がかかっている。ワクチンには、発症予防ワクチン、治療ワクチンがあり、承認されたワクチンは、症状を軽減する効果が期待され、治療ワクチンも重症化を抑え死亡率を低下させるなどの効果が期待できる。今後、接種後に充分な免疫が誘導されたかなど、長期的な視点で、検証を進めていくことが我々の任務と考えている。

 

篠ノ井西中出、高校第43回。東京医科歯科大医学部から東京大学大学院で医学博士。2009年「米国レトロウイルス会議若手研究者賞」を受賞され、主としてエイズワクチン開発分野でご活躍中。

英語入試改革に思う……私の英語学習法

関西学院大学教授(国際関係論)櫻田大造 氏

 屋代高校で身に付けた英語力が、その後合計7年近くの米・加・ニュージーランドでの学生生活や研究者生活に極めて役立った。英語学習は、ウェブが使える
今や、どこにいても、マイペースで、スマホ・タブレット・パソコンを利用して、勉強することができるが、基礎力は、やはり語彙数と文法だ。語彙数が5000
語を超え、文法も一通り終えたら、興味があるような内容の文章を、たくさん読んでいくこと。
 リスニング能力向上のためには、ともかく意味の分かる英文を聞きまくること。ユーチューブとかのウェブでもCDでもいいので、聞きつつ、可能ならシャドー
イングと呼ばれる、聞きながら話す発音練習もやってみることを薦める。いずれにしても、その基礎力は高校時代に身につけたように思う。

篠ノ井西中出、高校第31回。上智大外国語学部からシアトル大、トロント大大学院でカナダ外交政策を専攻され、国際関係論がご専門で、大阪大学博士(国際公共政策)。国連英検特A級、英検1級、TOEFL 637点(PBT)取得。

永平寺貫首に 南澤道人氏(中 18 回)

 曹洞宗大本山・永平寺の最高位である貫首に、旧制中第18回の南澤道人氏(93歳)が就任された。祝意として同窓会より祝電を差し上げたところ、下記のようなご丁重なるご書面と共に、九谷焼茶碗(写真)をご恵贈いただきました。

謹言
  大本山永平寺不老閣
 福山諦法大禅師猊下の御退董により、拙衲浅学非才にもかかわらず本山八十世の猊座を汚すこととなり、誠に僭越の至りと慙愧に堪えません。然し乍ら任に当たって他に譲り難しとのお示しもあり、老残の身をもって入山致しましたからには一日たりといえども命の限り努めて参らねばと存じます。
 皆様方には何かとお世話になることと恐縮に思いますが、何卒よろしく御教導賜りますようお願い申し上げます。
 尚、入山の記念に粗品ですがご笑納下されば幸甚に存じます、寿の字は不老閣にあやかり命長しの意を込め、皆様のご多祥をお祈りして書き入れました。
敬具
令和二年九月吉日
      南澤道人九拝

いつでも、夢と向上心を もって前進しよう

「コロナ」の時、改めて医師の資質を考える
呼吸器内科専門医 吉野 悦子
 初めまして、吉野悦子と申します。屋代高校を卒業し、はや20年以上たちました。卒業後は自治医科大学医学部で学び、現在は内科医として働いています。
 医師として15年以上たちましたが、時節柄、改めて医師になる資質とは、と考える時、それは「責任感」「思いやり」があるかどうかではないかと思います。医師の判断で人の命が左右され、また思いやりがなければ、病人と向き合えないからです。
 では、私の高校時代を振り返ってみましょう。決して勉強ばかりではなかったように思います。毎日、自転車通学片道10㎞、剣道部に所属していました。思春期とも重なり哲学的なことも考え、勉強以外にもたくさんのことを学ぶことができた時期でした。
 小学生のころから、アフリカの医療に恵まれない子供たちを見て医師になりたいと思っていました。スポーツで培った体力と集中力で、誰よりも強い気概をもって勉強に取り組みました。このころの勉強方法は、少し難しいレベルかつ良質の問題集を何回もする方法でした。数学と物理については、たいていの問題は解けるくらい理解を深めていたように感じています。英語は決して好きなほうではありませんでしたが、参考書の長文を読み込むことでレベル到達していたように思います。
 ところで、勉強は何のためにしていると思いますか?
 学問は見識を広め、人生を豊かにしてくれます。一歩社会に出れば、答えのない問題ばかりです。自分で考え責任を持ち行動できるよう、まずは基礎学力が必要なのだと、今になると理解できます。勉強は社会に出るための一歩です。その後も答えのない勉強が続くのです。
 今般のコロナ禍では、高校生の皆様も大会目標がなくなってしまったと聞いており
ます。特に高校3年生にとっては、人生の一つ目の転換期ともいえる時期です。「念ずれば花開く」夢はありますか?いつでも夢を持っていてください。それに向かって努力してください。自身が納得する努力をしたら、いつか、必ず納得できる結果を出すことができます。後悔しないよう、よき仲間と共に切磋琢磨し前進していけるよ、蔭ながら応援しています。
よしのえつこ氏(旧姓中曽根) 上山田小―戸倉上山田中出、高校第48回。自治医科大学医学部を卒業後、診療所、自治医科大学附属病院、聖路加国際病院等の勤務を経て、現在東京亀田総合病院・京橋クリニック勤務。呼吸器内科及び総合内科専門医で、主な論文に「気管支肺胞洗浄液のRT-PCR検査により診断しペラミビルが有効であった重症インフルエンザA(H1N1)肺炎の1例」などがある。

私にも最後の夏 (甲子園県予選)がなかった

大学野球では全国優勝 !
新潟リハビリテーション病院 院長 山本智章
 40数年前の夏の日に想いを馳せています。
 当時、長野県は12学区制が導入されて屋代高校も進学校として新たな時代を迎えていた。そんな中でも、野球班は質実剛健をモットーにどの班より過酷な練習に耐え、甲子園を目指していた。文武両道とは程遠い高校生活の中で、いつのまにか班員が8人という存亡危機になったが、そんな時2年の秋から登場した赤地憲一新監督が選手の自主性を重んじるという、当時の高校野球に新風を吹きこみ、まさに屋高野球班の新たな伝統の始まりだったように思う。
 迎えた高3年の春、滝沢洋司キャプテン(註1)を中心に力をつけ、春は北信のベスト4になった。しかし背番号1をもらっていた私は、練習試合で脚を骨折し、戦線離脱することになり、走ることもできない失意の中で最後の夏は代打で(註2)高校野球は終焉した。
 でも野球への情熱は消えることなく、浪人生活を経て新潟大学に進み、医学部野球での全国大会優勝、全日本準硬式野球大会に北信越代表で出場し、東京6大学の法政大学に勝利するなど、高校野球の経験がその後の自分の人生を彩ってくれたことを感じる。
 今振り返れば野球は、場面、場面でいつも新しい仲間との出会いと絆を構築してくれた。今も病院の業務の傍ら、新潟県高野連の医事顧問として、子どもたちの野球を医療の立場からサポートしている。
 今回のCOVID-19の破壊力は大きく、誰もが経験したことのない影響を私たちの日常にもたらしている。私は病院の責任者として、今自分がすべき優先順位は何かを考えながら日々緊張の毎日が続く。いつか普通の日常が取り戻せる日まで、耐えなければならない。
 こんな時に思い出すのは、日が暮れて屋高の真っ暗のグランドで練習の締めくくりに、整列して歌っていた、夏の甲子園の歌「栄冠は君に輝く」だった。その3番を紹介する。作曲者は朝ドラの「エール」古関裕而、作詞は加賀大介―
♪空を切る球の命に  通うもの 美しくにおえる健康、若人よいざ 緑濃き しゅろの葉かざす 感激を瞼に描け ああ栄冠は君に輝く ♪
 屋高のグランドで皆さんが追いかけてきた白球は、まさに健康の象徴だと思う。残念ながら、この夏の高校総体も甲子園も中止になってしまったが、野球もスポーツもまだまだ続く。1、2年生は新たな夏に向けて、3年生は次のステージに向けて、健康でスポーツを楽しむことの喜びを取り必ず戻して欲しい。そして、これからの日本のリーダーとして、皆さんの後に続く子どもたちの希望となることを期待する。

(註 1)たきざわようじ氏。高30回、千曲市立埴生小学校教頭から、平成28年度昭和女子大学に移り、教育相談・カウンセリング学を講ずる。同295月逝去。
(註 2)代打で3塁打性の当たりを放つが、走れない為に単打に、次の打席も安打を放ち2打数2安打。

やまもとのりあき氏。松代中出、高
30回、高校時代は投手、四番打者で活躍。新潟大学医学部に進学し、昭和55年(1980年)の東日本医学大会で決勝戦を完封し、優勝投手に。「骨組織に対する薬剤と運動の相互作用」で医学博士。米国ユタ大学整形外科教室への留学を経て現職。日本体育協会公認スポーツドクター、新潟市野球連盟副会長。「新潟野球サミット2018」で、栗山秀樹監督(日ハム)・長島三奈氏と共に講演して、全国に先駆けて高校野球投手の球数制限導入を提唱した。

令和2年 春の叙勲受章者

屋代高校同窓会員で下記の皆様が受章されました。誠におめでとうございます。
敬称略
 ・瑞宝中綬章  鳥羽栄治(高11回) 上田市
 ● 瑞宝小綬章  赤地憲一(高17回) 千曲市

 ● 瑞宝双光章  渡邉 稔(併中1回) 長野市

 ● 瑞宝双光章  小林和久(高21回) 所沢市

令和元年秋の叙勲

 次の方が受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。 (敬称略)
▼旭日中綬章
高橋  宏(高9回)
現住所 長野市川中島町
▼瑞宝小綬章
高山 吉富(高19回)
現住所 上水内郡小川村