会長あいさつ

同窓会館建設のご協力に、深甚なる感謝を申し上げます

教育者としての長谷川五作先生(その六)
会長 赤地憲一(高17回)
 会員皆様には、益々ご清祥の段、心よりお慶びを申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、厚く御礼を申し上げます。
 さて、同窓会館建設につきましては、会員各位の格別なご協力を賜り、去る1月20日竣工し、「鳩陵会館」にて業務を開始しております。落成式典を来る3月18日に予定しております。
 顧みますと、8カ月前の昨年5月15日に、当地権者の神尾房子様の深いご理解を賜り、創立以来の悲願である会館建設場所をこの地に定め、工を起こし、そして今、その竣工をみたのでご
います。建設に当たっては、建設委員会の吉川委員長はじめ相談役、各委員には、県下各地の会館を視察し、その長をとり、短を補い、執務能力の向上を図るとともに、在校生諸君の使用にも留意して、可能な限りの諸設備を整えることにご配慮をいただきました。
 幸いにも、母校愛に篤い篤志家皆様、支部長・理事各位をはじめ、同窓生皆様の格別なご支援を賜り、また、本工事をお請け負いいただいた㈱春原木材・春原明社長様には技術の粋を充分に駆使され、無事に、安全に竣工いただきました。春原木材様は、明るい社風の中にも、誠実で木材に対する深い愛情が込められ、厳しさの中にも、社長様、設計士様はじめ皆様には、我らの願いをお聞きくださる、柔軟なご対応をいただき、感謝に堪えません。
 この上は、輝かしい伝統を有する本同窓会の、同窓会館に課せられた使命を思う時、その責任のいよいよ重く、いよいよ大きくなることを痛感する者であります。会員皆様には、今後ともご指導とご鞭撻をお願い申し上げる次第でございます。
 教育者としての長谷川五作先生(母校勤務:大正12年・1923年~昭和30年・1955年)について書かせて頂いておりますが、昨年末、会館建設の御寄附依頼に、長野市の老人保健施設「コスモス」理事長の清水健先生(高3回・名大医・心臓外科)を訪問させていただきました。高校時代の懐旧談とともに、鮮明によみがえる記憶としてお話し下さったことは、長谷川先生が、もろこしの遺伝子が、コルヒチンという物質によって突然変異をおこすこと、そしてこれを実験で実証して見せたことで「終戦直後の昭和25年、物資の不足している時代にコルヒチンをどうやって入手していたのか、またこの予測をどんな文献で調べていたのか不思議なことで、時々思い浮かべてます。」と述懐された。
 会員皆様の益々のご活躍、ご健勝をお祈りして、また会館建設のご寄附につきましては、ひき続き、もう一歩のご支援を宜しくお願い申しげ、ご挨拶といたします。

格別なご協力に心より感謝を申し上げます

教育者としての長谷川五作先生(その五)
                会長 赤地憲一(高17回)
 残暑の厳しい折、会員皆様には、まずはご自愛のほど心よりお祈り申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、厚く御礼を申し上げます。
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 さて、同窓会館建設につきまして、去る5月15日(大安吉日)に起工安全祈願祭をとり行うことができました。同窓生の親睦の場として、また母校に学ぶ生徒達の補習やクラブ活動の場として、また、地域に開かれた諸事業の場として、以て母校の一層の発展に寄与する、この建設理念を礎に第一歩を踏み出すことができましたことは、全ての会員皆様とともに喜びとするところでございます。
 それにいたしましても、会館地権者の神尾房子様には、着工への諸条件が揃うまで、平成16年より12年間にわたり、私たちの我儘をお聞き下さり、大切な土地を保持していただきました。また、㈱春原木材様には、神尾様のご心情と我々の願いをよくご理解いただき、お請けいただけましことに感謝をするとともに、貴社の技術の粋を駆使され、安全に竣工いただきますよう、切にお願いを申し上げます。
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 「教育者としての長谷川五作先生(母校勤務:大正12年・1923年~昭和30
年・1955年)」について書かせて頂いておりますが、去る6月の塩崎支部総会で「長谷川先生は博物に興味を持たせて下さった第一の方である。詰込みの知識ではなく、事実、実験を重んぜられ、大自然を見つめておられた。授業が面白いから欠席する生徒がいない。」と語ってくれたのは、荒井芳久氏(高4回)です。母校が創立された
大正12年(1923年)、東京府立5中から赴任された先生は、既に国内で知られた遺
伝学者であったようです。メンデルの法則が世に出たのは1900年、日本に初めて『遺伝学教科書』が出版されたのは大正4年(1915年)、そしてこの翌年の大正5年(1916年)には既に信濃教育会『尋常小学校理科学習帳』に「メンデルの法則が紹介されていることはまさに驚嘆に値する」と篠遠喜人博士が書かれていますが(註)、これも長谷川先生が編集委員に迎えられたことによるものです。
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 会員皆様の益々のご活躍、ご健勝をお祈りして、また会館建設のご寄附につきまして
は、ひき続きご協力を宜しくお願い申し上げ、ご挨拶といたします。
(註)篠遠喜人「遺伝実験と遺伝教育の先駆長谷川五作先生」『長谷川五作先生著作選集』(昭和43年、屋代高校同窓会編)

「卒業生のご寄付ほど有難いものはありません」

(ドラマ「あさが来た」)
 教育者としての長谷川五作先生(その四)
           会長 赤地 憲一(高17回)
 平成29年を迎え、会員皆様にはご清祥のことと、謹んで新しき年のご挨拶を申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
 さて、創立以来長年の懸案となっている同窓会館建設及び6年後の「創立100周年記念事業」へのご寄附につきましては、格別なご配慮をいただいておりますことに、まずは心より厚く御礼を申し上げます。昨年4月の募金開始以来、8カ月で6000万円を超えるご浄財を賜りました。全国各地…静岡では居酒屋、新宿では高層ビル42階の社長室、長野市では病院の院長室、等々、また職域関係でも会員皆様には温かくお迎え下さり、母校の懐旧談とともに格別なご芳志を賜りましたことに、心からの感謝を申し上げます。NHKの朝ドラ「あさが来た」のセリフの一節に「西洋の学校は昔から卒業生の寄付で成り立っているのです。」というものがありましたが、こうした恩恵とともに、「郷愁は過去の産物ではなく、現在によって引き出され現在の中で意味を獲得するものである。」(註1)という皆様のご活躍の様子にも敬意を表する次第でございます。
    ◆
 「教育者としての長谷川五作先生(母校勤務:大正12年・1923年~昭和30年・1955年)」について書かせていただいておりますが、今回は、長谷川先生の愛弟子西澤一俊氏(中学第2回・東京教育大学名誉教授・植物学)にご登場いただきます。
(註2)「中学2年の時、長谷川先生から博物を教えて貰ったが、最初この学科は好きではなかった。ところが、長谷川先生のひどく自信に満ちた教え振りに次第に引かれ、とにかく授業がおもしろくてしかたがないところまでになった。」そして5年の時、高等師範学校を受験することに決めたが、何学科を選べばよいか相談に行ったところ「とにかく理科をやるなら生命をもつ生物をやれ」。ところが、その年みごとに落第して傷心していると「師範の2部に入っておいて、来年もう一度受験してみたらどうか」とご指導いただき、「叱られると思っていた私は感涙とともに、大いに発奮したのであった。」と述懐されておられます。
 遺伝学者とともに、生徒への具体的で、適切な、そして温かなご指導には、まさに教育者としての長谷川先生が偲ばれます。
 会員皆様の益々のご健勝と、会館建設のご寄附につきましては、ひき続きご協力を賜りたく宜しくお願い申し上げ、ご挨拶といたします。
(註1)黄順姫「同窓生ネットワークにおける信頼」『同窓会の社会学』( 平成19年)
(註2)屋代高校同窓会編「長谷川先生に想う」『長谷川五作先生著作選集』(昭和43年)

更級支部立ち上げに思う―「新しい橋を架ける」ということ

教育者としての長谷川五作先生(その三)
           会長  赤 地 憲 一(高17回)
 残暑の厳しい折柄、会員皆様には、まずはご自愛のほどを心よりお祈り申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。とりわけ同窓会館建設事業につきましては、募金のお願い以来、さっそく、温かなご協力をいただいており、心より感謝を申し上げます。会員皆様の母校への想いが、一枚一枚のお振込み用紙から伝わってまいり、身につまされるようないくつかの感動も戴いておりますところです。着工に向けて一層のご支援のほどを宜しくお願い申し上げます。
    ◆
 このたび更級支部が、十数年の空白期を経て、西澤正人支部長様はじめ役員皆様のご尽力により立ち上げられ、去る五月十四日,同総会が盛大に開催されました。開会での中村洋一事務局長のお言葉が心に残ります。「これまで二十数年この地区で共に仕事をしてきた人がおり、彼も私もこの度の支部総会のご縁で、お互いが会員であることが分かるに及んで、抱えていた懸案事項がスムーズに解決に向かった。」これこそ、黄順姫が『同窓会の社会学』の中で引用している「普通であれば、充分ではないごくわずかな刺激にも新しい橋をかけ、心は
それをこえて他者へ接近する」(註)と指摘している「自発的な献身」に違いありません。
    ◆
 このところ「教育者としての長谷川五作先生」について書かせていただいておりますが、海沼寛夫氏(中学20回・西条)からのご書面により、長谷川先生との電車による通学風景が偲ばれました。「松代代官町の先生のお屋敷の前まで行くと、毎朝、数秒の差で先生が門を出てこられ、象山口駅まで、先生の二三歩後を鳩の徽章と共に歩いていくのです。それが我らにはいかに嬉しく、誇らしげであったか、昨日のように思われてなりません。」と述懐されておられます。授業は入学直後から実証実験を通じて進められたと言われます。「メンデル遺伝の法則の実験として、エンドウの別品種の交配を2年間かけて各自が自宅で栽培観察、交配まで行い、翌年その種をまた精種し、生育開花の差を観察して成果が理論通りになることを教えられました。」生物の時間は楽しみでもあり、待ち遠しかったと言われ、各自の実験を通して「生
きた生物教育」を貫かれた先生でありました。
    ◆
 結びに当たり、会員皆様の一層のご活躍をお祈りすると共に、創立以来の悲願となっている同窓会館の建設に向けて、一層のご支援を重ねてお願い申し上げ、ご挨拶と致します。
 (註)『同窓会の社会学』(2007・世界思想社)の中で、筆者の黄順姫が引用しているG.ジンメルの言葉。

屋代高に新たなシンボルが誕生します

    まずは多目的運動広場が完成
教育者としての長谷川五作先生(その二)
                       会長  赤地憲一 (高17回)

 平成28年を迎え、謹んで新しき年のご挨拶を申し上げます。日頃は母校のために格別なご支援を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
 さて、創立以来長年の懸案となっている同窓会館の建設について、平成25年の創立90周年記念事業においては「状況が整い次第、建設に着手すること」としておりますところですが、格別なご配慮をいただいている地主様のご意向を踏まえ、附属中学校に喫緊の課題となっている運動広場の造成に長野県が着手した時、と思料しておりました。この度、塩野校長先生、大内事務長様、長野県当局の格別なるご支援を賜り、多目的運動広場(註1)として完成いたしましたことから、いよいよ会館の建設に着手したいと存じます。昨年末には、臨時支部長会議を開催いただき、そのご承認を賜りましたところでございます。
     ◆
 これまで、同窓会による記念事業は、それぞれが見事に結実して、滔々たる大河の如く、未来に向かって発展を続ける母校に輝かしい歴史を刻んで参りました。これら諸事業の達成は、平素潜在している会員一人ひとりの母校への矜持と、「魂のふるさと」への強い思いの結晶であり、その心情には、改めて感銘を深「モロコシの掛け合わせ実験くしている者でございますが、本年は、まさにその機が熟した時であります。県下初の公立一貫校に入学した附属中学生80名が、全員揃って高等学校に進学した記念すべき年度でもあり、7年後の「創立100周年記念事業」への準備基金と併せて、倍旧のご支援を賜りたく、宜しくお願い申し上げます。
     ◆
 「会報鳩63号」において、瀬在幸安博士の長谷川五作についての懐旧談から、「教育者としての長谷川先生」について書かせていただきましたところ、先輩諸氏から「長谷川五作先生」像をお伺いする機会に恵まれました。まず、原利夫氏(高校6回・倉科)からは、先生の授業についてなど、授業がとにかく楽しかった。土口に在住の飯島誠君や雨宮の前山公一君(故人)は、徒歩で来るので、ほとんど毎日遅刻をしたが、長谷川先生の授業の時は、始業前に教室に入って待っていた。実験は厳しく指導されたが、そのあとは各自の興味関心に任せてくれ、リベラルな雰囲気だった。」
 また、海沼寛夫氏(中学20回・西条)からは、昨秋ご書面を賜り、そこには長谷川先生への尊敬と敬慕の念が便箋3枚に綴られ、その感動は心に残ります。紙面の都合で次回に書かせていただきます。
     ◆
高校卒業生に贈る、長谷川五作先生の遺伝学的資質論
 長谷川五作先生の以下の教育論(註2)は、ちょうど100年前に書かれたものであるが、これほど見事な遺伝学的教育論を他に知らない。卒業を迎えた諸君に捧げたい。
 「良い遺伝的能力を享けぬが最後、どうすることも出来ぬように悲観する者もある様であるが、之はまことにつまらない考えである。吾々の能力は遺伝で決まって限られて居るというべきだが、併し発達し得るべき可能の範囲が極めて広いことも考えねばならぬからである。吾らは寧ろ、幼年時代の楽観にかえり、世の中のどんな大きな仕事でも出来るという雄大な考えを持たなければならない。機会・遺伝・境遇等は、吾々の前途を制限する事実であるが、其の制限は人々が思うような狭いものではない。絶対限度の半ばにも達し得ないで殆どの者は終えるであろう。」
(註1)
(註2)屋代高同窓会編(昭和43年)『長谷川五作先生著作選集』「生物と遺伝」信濃教育N 』大正4年、1915年)