2022年8月の記事一覧

人 『空腹こそ最強のクスリ』が40万部突破 養老孟司先生と対談の内科医 青木厚院長

 更埴西中出、高校第42回のご卒業。福井医科大卒業後、自治医科大大学院で糖尿病を中心とした内分泌代謝、動脈硬化分野の研究で医学博士。現在さいたま市内で「あおき内科さいたま糖尿病クリニック」院長のかたわら、メデイア出演や雑誌等での対談、執筆等多数。ご尊父は、ハンドボール界大御所の青木崇先生。

◯ 『プレジデント4月号』を拝見しました。先生ご自身が「プチ断食」により、舌癌を克服されたと伺いましたが
――― 40歳の時に舌癌を患い、死の恐怖を味わいました。内分泌代謝の臨床医として、これを全治させたことで、栄養代謝による、がん治療・予防をライフワークにしています。動脈硬化性疾患やがん再発予防により、患者さんの「よりよい明日のために」精進しています。
◯ 「空腹こそ最良のクスリ」と言われますが、そのメカニズムを教えて下さい。
―― 空腹は、体重や体脂肪を減少させ、糖尿病、がん、心筋梗塞や狭心症などの予防に効果があります。一日3食摂り、前に食べたものを消化している間に、次の食べ物が体内に入ってきますと、内臓は休むことなく働き続けなくてはなりません。当然内臓は疲弊してしまいます。
◯ 具体的な臓器の働きにあわせて、教えてください。
―― 肝臓や胃腸の働きが鈍くなりますと、栄養分をしっかり吸収できなくなりますし、老廃物もきちんと排出されなくなり、腸内環境も悪化するため、免疫力が低下し、病気にかかりやすくなるという訳です。これは、ノーベル賞の本庶佑博士の提唱した「オプジーボ療法」(元来ヒトの体内に備わっている免疫力を利用してガン細胞を攻撃)からヒントを頂いています。
◯ ところで、先生は、いつ頃から医師を目指されたのですか、高校時代のことなどお聞かせ下さい。
―― 高校時代、医療に関心は持っていましたが、担任の先生から「2浪しても無理」と言われてしまい、東京理科大理学部(物理科)に進学しました。そこで医学部付属病院に勤務する医師の息子さんの家庭教師を依頼され、教えているうちに「これくらいのお子様が医学部を目指すのなら・・」との思いから、卒業後に医学部を受験したわけです。「人間は過程的存在」とアレキシス・カレルが言いましたが、学力もそういう面がありますね。

白鳥和生(高 37 回)著 「即!ビジネスで使える 新聞記者式伝わる文章術」

 日経新聞記者として30年、延べ一万本もの記事を作ってきた著者が、誰もが納得する文章を、速く、正確に書く技術を公開したもの。
 その技術とは、ファクト(客観的事実)、データ(数字)、ロジック(論理)の三要素が揃った「説得力」と「納得感」のある文章を速く書くことだという。このテクニックをもっと早く知っていたら、と思わせられた。最後の章では、《文章も品質管理を》と注意喚起した上で、《紙に印刷して音読を》と念を押してある。実行してみたのだが…。ダメ出しをされそうである。

(相談役 徳嵩芳夫)

柿﨑正義(高9回)他共著 「建築現場の チェックポイント」

 建物の欠陥責任の存続期間は品確法の10年の「契約不適合責任」と民法の20年の「不法行為責任」の両にらみで対応しなければ成らない時代を迎え、設計者・施工者にとって施主とのトラブルによる経営上のリスクが高まっている、と著者は記す。
 本書は、地盤構造・構造駆体・外装仕上げ・雨漏りの4編に分け、それぞれの現場での工程内容検査及びメンテナンス時に瑕疵の芽を摘む為にはどうしたらよいか、というチェックポイントをイラストを使いながら具体的に解説した専門的指南書である。

(副会長 吉川正徳)

ウクライナ支援を続ける  坂本龍太朗氏から現地報告

〈取材協力、新聞班〉

さかもと りょうたろう氏 屋代中出、高校第56回。柔道班OBで、現在、ポーランドに家族と在住。ワルシャワ日本語学校教頭。

ウクライナ支援の経緯
 ポーランドの大学院で学んでいた頃からウクライナ出身の同級生が多くいた。そのためウクライナで戦争が始まったと聞き「なんとかしなければならない」という気持ちになった。さらに自分の子どもと同じような歳の子どもたちが寒い中、国境で避難を待っているうちに亡くなってしまったというニュースを見て居ても立っても居られなくなった。ロシア語を話すことができたことが、支援を始める決意を確かなものにした。
支援の現実
 支援には大きく分けて3つがある。
 ウクライナ人家族の支援では行政手続きや通訳、その他の食費や服など含め行政からの支援はほとんどなく、現在は個人の負担となっているためここに一番お金と時間が割かれているのが現状。
 ポーランド国内に避難しているウクライナ人には車がない人の足になったり、SNSを使って連絡をとり、精神的な支援を行っている。またウクライナの国内避難民への支援は、一番支援が必要となっている。テントやマット、電気ヒーターや防寒具などの購入リストをもらうだけでいかに深刻な状況かが伝わる。

避難所の体育館の様子

ウクライナ国内の状況
 ロシア軍の支配下にある地域の情報はほとんど入ってこず、電気、ガスなどのライフラインが遮断されている地域に住んでいる人たちはスマホなども使えないため、どのくらいの人々が生き延びているのかもわからない。キーウやリビウなど比較的安定している地域もあるが、食べ物が不足しているという連絡や、国内避難民が多くいるためバスが足りないといった問題は多くある。
人々、学校の状況
 避難してきた大人は行政手続きを受けるために個人識別番号や銀行口座の開設などをしたり、仕事を探す。子どもたちはポーランドの幼稚園や学校に通っているが学校が避難場所になっている所も多く、勉強などができる環境ではなくなっている。避難している学生たちはポーランド語という言語の壁がある。
日本の中・高校生へ
 私は今、ポーランドでウクライナ支援を行なっていますが、必要となっている言語はポーランド語とロシア語、ウクライナ語です。今後も学校などで英語を学び続けると思いますが、将来その言語を使ってどう人を助けることができるか、人と人を繋ぐことができるのかを考えて学び続けてください。
▼坂本龍太朗(高56回)著
「日本を出て、日本を知る」

祝 創立100周年 わが青春を語る② 良き恩師・友に恵まれ夢をはぐくんだ高校生活

信州大学副学長・工学博士 天野良彦(高30回)

信州大学副学長で工学部長(学術研究院工学系長)の要職にあられる。生物機能科学がご専門で、地域におけるバイオマス資源を有効利用するための技術開発分野の第一人者。

 高校を卒業して、今年で45年が過ぎようとしている。長いようであっという間の出来事であった気もするが、高校時代の良き思い出が今の自分を作ってくれたように思う。とにかく高校時代は楽しかった。部活に麻雀、友人との駄弁り、それらのすべてが楽しくて、高校へ通うのが毎日励みとなっていた。
 まず、部活はバスケット班で、毎日練習に明け暮れた。顧問は山浦先生で、熱血な指導が今も思い起こされる。〈註1〉県大会の準決勝で延長の末負けはしたが、最高身長の生徒が180㎝に満たないチームが、190㎝台の選手がいるチームに勝つことができたのも、先生の考案した頭脳的なフォーメーションプレーのおかげであったと思う。自分はベンチウォマーであったが、部活がなければ高校生活は寂しいものであったであろう。
 また、インターハイに出場経験のある先輩方も練習を見に来ていただき、指導して頂いた。これも屋代高校の良き伝統であったと思う。自分の担任の宮入先生は数学の教科担当であり、熱血指導を頂いた。先生のお宅にも何度か遊びに行かせて頂き、卒業後もかわいがっていただいた。ただ残念なことに、先生は次の赴任校での指導中に現役でお亡くなりになられた。とても驚き悲しみのうちに、葬儀に参列させて頂いたことを記憶している。
 最後に、現在自分は大学で研究生活を送っているが、わが研究のルーツは屋高にあったことを知り、とても驚いた。キノコ菌のたんぱく質(酵素)の研究を行っているが、キノコの人工栽培技術を開発した長谷川五作先生や、私のボスのそのまたボスの西澤一俊先生〈註2〉も屋代高校のOBであった。本当に屋代高校のOBで良かったとつくづく思う次第である。

〈編集室・註〉
(1)  昭和40年代後半からのバスケットボール班は、山浦正孝先生の好指導により、県高校総体2連覇を遂げるなど、強豪チームとして活躍した。
(2) 西澤一俊先生
 塩崎村のご出身で、旧制中第2回の御卒業。東京教育大学(筑波大学の前身)理学部植物教室教授を務められた。旧制中時代、高等師範の理科を受験することは決めていたが、何学科を選べばよいかわからなかったので、長谷川五作先生に相談に行くと、「理科をやるなら、生命をもつ生物をやれ。」と言われ、進路を決めたことが書かれている。(『長谷川五作先生著作選集』(昭和43年、同窓会編)