会長あいさつ

宮﨑和順 名誉会長を悼む

会長 赤地 憲一(高17回)
 宮﨑名誉会長は、高校第3回のご卒業で東京教育大学(筑波大学の前身)を卒業後、県教育界に入られ、高校教育課長等を歴任後、平成3年に教育長に就任。同5年10月に退任されたが、ひき続き2期8年の教育委員のうち7年間を教育委員長として手腕を揮われた。退任後、平成15年から10年間同窓会長としてその発展に貢献された。同14年文部科学大臣表彰、同15年勲四等瑞宝章受章。令和元年8月8日ご逝去、87歳。
 にわかに宮﨑和順先生の訃報に接し、愛惜の情、きわまりないものがございます。八十七歳というご長寿とは申せ、長野県教育界にとって特別な存在の先生でございますので、まだまだご指導をいただけるものと信じておりました。生者必衰とは申せ、人生の無常を嘆かずにはおられません。先生の教えを受けた者が等しく感銘し、敬慕するところは、厳しさの中にも、深くて広い心をお持ちで、温かさの中にも、確固たる教育信念のもと、卓越した者への期待感が込められておられたこと、まさしく、偉大なる教育者でございました。
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 先生は、昭和32年に東京教育大学理学部数学科をご卒業され教育界に入り、野沢北高校(4年)、静岡県清水東高校(2年)、飯田高校(6年)、松本深志高校(8年)と、20年間数学教師として歩まれました。松本深志高校で先生の教えを受けられた第28代屋代高校長の堀金達郎先生は、「毎時間、先生が出される手作りプリントの莫大な量に圧倒され続けた。」そうでございます。また、ガリ版鉄筆の時代、「お顔に似合わず文字がきれいだった。」(田中正吉・元松本深志高校長)そうで、夏休み中も熱心にご指導をしていただいたと述懐されます。
 こうした教育者宮﨑和順先生に影響を与えた人に、大学時代の恩師で、一昨年(2017年)91歳で亡くなられた、イリノイ大学名誉教授・数学基礎論の竹内外史先生がいらっしゃいます。宮﨑先生が、大学2年生の最初の授業に遅刻をしていったところ、竹内教授は、「Easyのものの中にこそ本質がある」と、遅刻を叱責されましたが、1年後専門ゼミを選択する時になると、竹内先生の方から「私のゼミに来ないか」との温かなお言葉があり、これを契機に、先生は終生師と仰ぎ、研究室では囲碁を教えていただいた逸話は、心に残っておりますところです。
 それまでの20年及ぶに、学校現場でのご活躍から、先生は昭和52年、長野県教育委員会教学指導課の指導主事に抜擢されました。後の平成13年から県教育長を務められた斉藤金司先生は、「教育行政という言葉があるが、宮﨑先生は、それを支える教師としての力が大きく、子供たちを思う根っこのところが大きかった。」と評され、また、平成18年から県教育長を務められた山口利幸先生は、「宮﨑先生は、高校教育課長時代を含めて、生徒指導、学力問題、国旗国歌、生徒の急増期にあたり5校の新設校開設、飯田高校事件等、難題がいくつもあったが、先生の教育哲学は、『自由と平等のバランスを絶妙にとられた教育行政』であった。」と言われたことがあります。例えば、隣接学区から入学を認めることになった「10%条項」は、通学区制という平等性と10%の枠という自由性であり、また高校入試の判定資料として昭和50年代に先生が導入された「相関図方式」も、学力検査の点数という平等性と、受験生をもう一つの物差しで測る自由性であり、数学を教育行政に生かされた、その慧眼にはただ敬服するばかりです。
 一方、各学校の課題について、先生は高校教育課長時代(昭和62年~64年)本県教育の課題を「学校経営の弾力化、個性化」「基礎学力の向上」と捉え、これを具現化する形で、昭和63年に、特色ある学科、学校の新設に取り組まれました。そして、平成3年に教育長に就任されると、翌年には県下初の専門学科として、屋代高校に理数科、飯山南高校に体育科を開設したのでございました。
 屋代高校同窓会においては、宮﨑先生は、平成15年から10年間にわたり、同窓会長として、屋代高校と同窓会のご発展にご貢献されました。この間、文化講演会「屋高フォーラム」の立ち上げは平成16年、シンポジウムの立ち上げは平成19年でしたが、私としては、10年目を迎えた頃から、「そろそろこの辺で・……」と考えることもありましたが、その都度宮﨑先生は、「おい、これはいい企画だ。続けろや」と、激励して下さいました。本年で16回、このように長く続いているのも、また、創立以来課題となっておりました同窓会館建設も、先生の御熱意が実り、一昨年(平成30年)3月に完成式典を行い、記念講演として、先生には「神秘律の証明」という「代数学」にかかわるご講演を賜りました。難解なご講演でしたが、ご満悦な先生の表情に、我々は、多少とも恩返しができましたものと、安堵を覚えたものでございます。
 先生には、宮﨑家の家門の繁栄を目のあたりにされ、先生はこのように数多くの人々の敬慕のうちに天寿を全うされましたことは、人を大切にされた先生らしく、大往生であられました。
 奥様の順子様はじめ、ご親族皆様には、一日も早く先生のご他界の悲しみから癒されますように、今ここに、宮﨑和順先生の御遺徳をしのび、つつしんでご冥福をお祈り申し上げますとともに、御家族、ご親族皆様の今後の益々のご発展を見守っていただきますよう、また屋代高校はじめ、長野県教育全体の発展をお導き下さいますよう、お願いをして、お別れの辞とさせていただきます。どうか安らかにお休みください。
合掌。