お知らせ
水害の生徒・職員へ お見舞い金
令和元年10月12日、13日の台風19号による千曲川水系の大災害で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
同窓会では被災された生徒(17家庭18名)、職員(3名)に対してお見舞金を差し上げ
元旦の「鳩陵ホール」
昨年末から令和2年1月2日にかけての5日間、学校や諸施設が閉館になることから、在校生に鳩陵ホールを開放しました。
昨年以上に盛況で、延べ160名の生徒が、真剣に学習に励みました。「とてもきれいな施設で、年末年始も友人たちと共に励まし合って学習できる場を提供していただいて、本当に感謝です。」などの感想が寄せられました。
岸田安穂氏(高3回)が72年前の校歌の英訳秘話を紹介
屋代高等学校校歌(英訳版)
The old home of our souls
作詞/佐竹 盛富 訳詞/寺倉 國男
The heavenly light shining from the sky.
Dances all over the green mount’s and hills around.
Oh, exertion! Our hearts are beating fast.
We boys, we boys we’ll go on.
The old home of our souls Yashiro.
The heavenly light shining from the sky.
Dances all over the thousand turns of the stream.
Oh, fortitude! Our minds are on the stretch.
We boys, we boys we’ll work on.
The old home of our souls Yashiro.
この度の総会では、高校3回理事・岸田安穂氏が、86歳というご高齢をおして、遠路横浜から御参加いただき、在学当時の英語版校歌が作られた経緯をお話下さった。そして、それを美しい英語と見事な声量で独唱されて帰られた。この安田氏のご登場は、去る3月中旬、事務局に次のようなメールをいただいたことがきっかけで実現の運びとなったもの。その熱意とご要望に応え、ここにその英語訳校歌を掲載します。
この度の総会では、高校3回理事・岸田安穂氏が、86歳というご高齢をおして、遠路横浜から御参加いただき、在学当時の英語版校歌が作られた経緯をお話下さった。そして、それを美しい英語と見事な声量で独唱されて帰られた。この安田氏のご登場は、去る3月中旬、事務局に次のようなメールをいただいたことがきっかけで実現の運びとなったもの。その熱意とご要望に応え、ここにその英語訳校歌を掲載します。
《お送りする英訳版校歌は 戦時中一時中断していた英語の教科が終戦(昭20年)後に復活した際学芸会(文化祭?)などでは校内外で盛んに英語劇が行われ上演の前か後か忘れましたが英語で校歌を歌って屋代中学の舞台であることを参加者に認識して頂くため寺倉國男先生が英訳して下さったものです。
当時は英語劇とともに大変好評でした。出来たのは私の中学3年時代昭和22(1947)の秋だったと思います。寺倉先生の苦労された翻訳が各所で見受けられ今にして思えば大変な秀作だと思います。
これは屋代高校の貴重な財産ですのでその存在を校友に伝えておくべきと思い同窓会事務局に連絡した次第です。》
「長谷川五作先生 資料室」が完成
この度、鳩陵会館に「長谷川五作先生資料室」が完成しました。
この経緯は、千曲市校長会の若林一成・八幡小学校長(高29回)、久保田英雄・五加小学校(高29回)の両氏らが、『信濃教育』(平成30年11月号、信濃教育会編)に、長谷川先生について「日本の遺伝学の先駆者」として研究論文を掲載されましたが、この両氏の執筆にあたって、長谷川先生のお孫様の長谷川徹氏(高校38回)がその資料を提供されました。
この資料室では、長谷川先生の蔵書(牧野富太郎『日本植物図鑑』他)のほか、①講義録②書簡・日記③論文④執筆原稿⑤研究資料⑥顕微鏡等器具類⑦絵画・写真、⑧葬儀関係書類、等の分類により保管いたします。
※ 保管棚は縦約93㎝・横約160㎝
『長谷川五作先生講演会』のご案内
NPO法人松代「夢空間」にて
同窓会副会長 栗林秀夫(松代「夢空間」理事)
NPO法人松代「夢空間」では「松代学講座」と称して、年六回講演会を企画しています。本年度は「教育・文化に尽くした松代の人々」をテーマに、明治~昭和期に活躍した文化人や教育者を六人取り上げており、その第五回は、『長谷川五作先生』(1880~1963年)についての講演会を企画しました。
・日時 10月26日(土)13:30~15:30
・場所 松代支所2階大会議室
・講師 前五加小学校校長 久保田英雄 氏
現屋代中学校教諭 町田 啓 氏
・参加費 五〇〇円(申し込み不要・直接会場へ)
長谷川先生については、既に同窓会会報『鳩』でも、赤地会長が連載して記事にされておりますので、概略ご存知のことと思いますが、改めて先生の経歴を簡単に紹介します。
長谷川先生は、明治13年(1880)埴科郡杭瀬下村田中家に生まれ、同36年(1903)長野県師範学校を卒業後、桑原小、杭瀬下小に勤務され、その後上京し生物学を学ばれた後、竜江、川田、松代小学校に勤めます。同44年(1911)には松代町の旧藩士長谷川家の養嗣子となります。
松代小学校時代の大正8年(1919)文部省検定試験植物科に合格し、愛知県女子師範学校、東京府立第五中で教壇に立ちました。
最後は、屋代中( 現屋代高校)で大正12年(1923)から昭和30年(1955)までの32年間生物学教師として熱心に子弟教育に尽力されました。
その間、「エノキダケ」の人工栽培に着目して、苦心の末昭和6年(1931)遂にビン詰めによる栽培法を考案します。以来町内の有志や青年に伝授してその普及を図り、「エノキダケ」栽培の基礎を築きました。今日「エノキダケ」が長野県の特産農産物になっているのは、先生の大きな功績です。その功績を讃える胸像が、松代町長国寺の境内に建てられています。
長谷川五作先生は、メンデルの法則の実証実験をするなど、遺伝学や生物学の研究者としての足跡と、多くの教え子たちに慕われ、多大な影響を与えた教育者としての足跡との二面をお持ちです。
当日の講演会では、経歴や教育者としての足跡を久保田先生が、生物学等研究者としての足跡を町田先生が分担して講演していただける予定です。
この機会にぜひ大勢の同窓生の皆さんにも足を運んでいただき、長谷川五作先生の人となりに触れ、その足跡に学んでいただきたいと願っています。