活躍する同窓生

東大の箱根駅伝出場を夢見る 瀧澤 剛 さん

○高校時代にはインターハイに出場されたそうですね。
― はい、3 年生の時、3000m障害で9分22秒53の記録で県大会で優勝して、北信越大会でも3位に入り、インターハイに出場できました。とても大きな思い出として残っています。
○信州新町からの通学、陸上との両立は大変ではなかったでしょうか。
―陸上班の練習を6時30分に終え、篠ノ井駅まで自転車を走らせ、7時のバスに乗りました。8時に自宅に着くと9時までの60分間で、食事・入浴やその他全てを済ませます。そのあと2時間の学習を毎日心がけました。
○時間の使い方に大いに学ぶものがあります。東大の陸上運動部ではどのような生活を送られましたか。
―当時も今も、箱根駅伝大会に出場することを大きな目標の一つにしていますね。毎年夏に2?3週間北海道で行われる長距離合宿の参加など、大学の部活ならではの思い出が強く印象に残っております。また、大学の部活動は大規模なため、高校時代とは違い、数十人もの仲間と切磋琢磨しながら練習できたのもよい思い出です。怪我のため練習ができないことが多く、悔しい思いをしましたが、陸上部では大変貴重な経験をさせていただきました。
○文武両道をめざす、屋高生・附属中生にアドバイスをお願いします。
―部活と勉強を両立することは困難かもしれませんが、どちらも目標を持ちながら全力で取り組めばきっと成果がでるはずです。
 最初は思うような結果が出ずに諦めたくなるかもしれませんが、粘り強く努力を継続してください。必ず大きな成果が得られるはずです。高校生である皆さんは、社会に出て働くことの
イメージはまだできないかもしれません。
 先生方や両親と相談しながら、悔いのない進路を歩んでほしいと願っています。

信州新町中出身で高校第60回(普通科)の卒業。屋代高(陸上班)・東大(陸上運動部)を通して中・長距離選手として活躍。高校時代は3000m障害で9分22秒53で県優勝しインターハイ出場。東京大学理科一類に進み、工学部で化学生命工学を専攻。大学院工学研究科では「ヒト由来膜タンパク質の無細胞発現と膜局在化傾向の網羅的解析」により修士学位を取得。
大学でのベストタイムは5000m、15分30秒98。今春、東京ガス ㈱ に入社。

県弁護士会会長に就任された 柳澤修嗣氏

○最近、憲法問題や「子どもを性被害から守るための条例」の制定にかかわり、マスコミによく登場されますが、会長職はご多忙のようですね。
 ―弁護士としての活動は時間的に大幅に制約を受けますね。しかし弁護士法では「社会秩序の維持及び法律制度の改善」を弁護士の使命と定めていますから、こうした活動は、いわば我々の使命と考えています。
○弁護士になられた直接の動機は「悔しさ」にあると伺いましたが。
 ―はい、司法試験を受けようとした時、先輩から「お前は受からないと思うから、試験は止めて就職したらどうか。」と言われました。今考えると、その当時の自分は、先輩の言われるレベルであったと思います。でも「今に見ていろ!」というメラメラと心に燃え上がるものがありました。それまで遊び半分であった弁護士になろうという気持ちが、それ以降本気になったのです。
○「屋高フォーラム」の中での「能力は努力によって獲得される」というお言葉を思い出しました。
 ―努力が継続できるには、素晴らしい先生に出会ったり、出来事に感動するとか、そういう中でそれが強い決意や意欲となります。
 倦まず飽きまずコツコツと努力を重ねていき、ふと周りを見回すと、とてもかなわないと思っていた人を超えていたりするものです。能力は獲得されるものですね。

柳澤修嗣 氏
更北中出身で、高校第28回のご卒業。
高校時代はバレーボール班で活躍され、中央大学法学部を経て、平成2年に司法試験合格。同6年長野市内に柳澤法律事務所を開設。平成16年第1回「屋高フォーラム」の講師を務めた。平成28年4月、県弁護士会会長・日弁連理事に就任。同窓会副会長。

瀬在幸安博士「初代名誉市民」顕彰式典が開催される

 心臓外科医として、心筋梗塞症のバイパス手術をわが国で最初に成功されるなど、国際的な業績をあげられた瀬在幸安博士(日本人工臓器学会名誉会長・日大第10代総長・米エリザベスタウン大名誉博士、高校第1回)の、千曲市では初となる「千曲市名誉市民」顕彰式典が、平成27年10月31日(土)千曲市創造館において開催された。瀬在博士は、奥様喜代江様と共に岡田昭雄市長から顕彰盾を授与されたあと、満員の聴衆をまえに「医学と医療―私の歩んだ道」と題して講演をされた。
 この中で先生は、フルブライト留学生としての研修時代以来の卓越された幾多のご功績について披瀝された。
   同窓会による祝賀会を開催
 翌11月1日(日)には、同窓会主催の「瀬在博士名誉市民祝賀会」が上山田ホテルにて開催された。宮﨑和順名誉会長、竹内長生前副会長、横川正秀前事務局長ほか、旧・現役員ら12名が出席して、先生の偉業を讃えるとともに、同窓会としても「名誉会員」の称号をご受諾いただいたことに、謝意を申し上げた。
   母校を訪問、講演される
 11月2日(月)には、母校を訪問して全校生徒にご講演をいただいた。講演を聴いて、2年生の伊藤史也君は「私も医師になる目標を持っているが、瀬在先生のような偉大な先輩がいることに驚いた。」(『千曲市報12月号』)と語った。

信州大学工学部長に 就任された半田志郎氏

ひと・クローズアップ
 高校第26回のご卒業。信州大学工学部大学院(電子工学)を経て神戸大学博士課程に進まれ、電子情報通信分野で工学博士。長野高専・信州大学助教授から、平成17年教授、同24年から信州大学評議員を務める。
○どんな高校時代でしたか。
 松代中時代に水泳400M個人メドレーで県で優勝し、高校でも水泳班に入りました。しかし水泳は、中学で「燃え尽き」たようです。
物理と数学が大好きで「難問集」を買い求めて解くことが楽しか
ったです。しかし国語や社会科が大の苦手で、当時の高校入試には社会科がなく、4教科だったので屋代高校に合格できたと思っています。
○研究分野について教えて下さい。
 情報通信工学が専門で、キーワードは「移動通信、可視光通信」です。可視光通信とは、光の強弱を信号に置き換えて通信するもので、昨年は小型人工衛星「ぎんれい」においても、その実験を行いました。今後にむけては、IOT(Internet of Things)と言われるように、すべての通信機能をインターネットにつなげる分野に取り組んでいます。
○中・高校生への期待をお願いします。
 附属中には入試がないことが良いことです。受験のためにやる勉強では探究心が育ちませんし、テストの点数によって文理系統を決めたり、大学を決めたりは好ましいことではありません。興味があるならば、大学の偏差値ではなく学部や学科で選ぶべきです。
 人には二つのタイプがあると考えています。緻密に理論を組み立てていくが巨視的な見方が苦手な人と、アイディアや創造性はあるが緻密性に欠ける人です。研究には、どちらのタイプの人も必要です。仕事でもそうですが、一人でやるものでなく、共同でやるものですから、自分の特性を見極めて、個性を生かしていってほしいですね。中高校生とも、やはり自分の好きなことをやって欲しいですね。