同窓生・同窓会
活躍する同窓生
たにほ あずき君 佐久市立中佐都小出、高72回。附属中でハンドボール班、高校から野球班で外野手として活躍。理科Ⅰ類に入学し、現在工学部都市工学科4年生。今春から背番号51の「学生コーチ」としてベンチ入りを果たした。写真は、去る5月5日の東大―早大戦で、3塁コーチャーズボックスに向かう谷保コーチ。(神宮球場)
○ 部員が108人、練習時間が一日5時間という東大野球部。「学生コーチ」としてよくぞ、ベンチ入れを果たされましたね。これまでの3年間、学業との両立等で退部を考えたことはなかったですか。―― 私の工学部都市工学科は、演習が忙しいことで有名で、課題の発表直前期などは、夜通し作業して準備をしたり、授業時間<外でも多くの時間を割く必要があります。そのため、部活との両立という点で体力的・精神的に辛い瞬間は幾度となくありました。しかし、東大野球部は私が高校入学以来常に目標としていた場で、長く辛い受験勉強を経て長年の夢を手に入れることができた今、野球部の活動に全力を注がないという選択肢は一切ありませんでした。退部を考えたことも一度もありません。
○ 勉強時間はどうように確保されましたか。―― 同期の仲間にも...
南嶋俊三(旧姓飯島)(高21回)(元阿南高校長、前阿南町教育長)
私の青春と人生を支えてくれた競技歴、職業歴について記させていただきます。 私の競技歴は、陸上競技の棒高跳びから始まりました。中学3年のこと、担任の先生が棒高跳びの選手であり、その先生に勧められて始めたのです。その頃は竹でしたが、始めたその年の県中学放送陸上で3m10を跳び優勝。それから病みつきになりました。屋代高校に進学し、陸上部顧問の藤本勝彦先生のご指導をいただきました。その間、個人優勝や、屋代高校初の陸上競技の県大会優勝を成し遂げました。高校の3年間でインターハイや国体をはじめ、諸大会に出場し、全国各地を廻るなど素晴らしい経験をさせていただきました。 高校卒業後、順天堂大学に進学し、引き続き棒高跳びに専念しました。大学となると、全国から高校時代に活躍した選手が多く入学してきて、私などは記録的にも低レベルな存在でした。練習も、高いレベルの選手の補助に回る毎日で、自分の練習は一流選手の練習が終わってからでした。記録も思うように伸びず、1・2年の頃は心身の疲れで悩むこともありました。進級するにつれて精神的にも安定して記録も...
柳原 健(高14回)(第27次南極観測隊随行)
南極観測は私の中学生の時に始まった。理科の青木元雄先生(中15回、後に同窓会本部の事務局長も務めた)は、授業中ご自身の経験に基づいた話を沢山して下さった。その中で南極に関係した二つの話を記憶している。「僕は南極へ行かなくてもオーロラを見ることが出来た」「もし南極へ行けたら磁石が立つのを見たい」 それから25年、私は南極行きのチャンスに恵まれた。当時私は運輸省の船舶技術研究所に勤めていた。オイルショック後のエネルギー事情の変化で、アラスカから石油を運搬するようになった時、砕氷商船が必要になる。研究所では南極観測船「しらせ」の氷海航行性能計測を実施することになり、第27次観測隊に同行するように話があった 咄嗟に中学時代に聞いた「磁石の話」を思い出して引き受けた。そしてこの年南半球に行けば、ハレー彗星が見られることもこの話を受諾する後押しとなった。 ハレー彗星は復路のインド洋上で観測できたが、残念ながら磁石の立つのは見られなかった。南磁極は昭和基地から遠く離れており、航路からも外れていからだ。 期待された結果を得られなかったこともあり、先生への報告は...
市川 誠(中15回・98歳)(信州大学名誉教授・工学博士)
母校創立100周年をお祝い申し上げます。 私達中15回生は、埴科中学校(屋代中学校)創立の翌年大正13年度に誕生しました。私は母校の創立100周年に際し、自己の来し方などに照らし、感慨深いものがあります。 私達の小学校入学の昭和6年に、満州事変、中学校入学の昭和12年に支那事変(日中戦争)、中学5年生の昭和16年に大東亜戦争(太平洋戦争)が始まりました。そして、終戦の約3年半前、昭和17年3月、屋代中学校を卒業しました。 私達は、このような戦争の拡大が進む時に屋代中学生でした。そして、この間の重大事として記憶に強く残っているのは、「軍事教育訓練を受けた」ということです。 教練という科目で、配属将校と呼ばれた現役軍人を教師に、授業は他科目と同様、毎週ありました。校庭を仮想戦場としての訓練、教室での軍人必携小冊子(軍人の日常から戦場の規律まで)の解説などが進みました。戦争の最中で青少年は救国心身高揚を求められ、各種の宣伝・報道や行事がありました。手榴弾の投擲距離を含む各種の力量を調べる体力章検定制度に、練習から測定検査まで教練の授業時間が当...
更埴西中出、高校第42回のご卒業。福井医科大卒業後、自治医科大大学院で糖尿病を中心とした内分泌代謝、動脈硬化分野の研究で医学博士。現在さいたま市内で「あおき内科さいたま糖尿病クリニック」院長のかたわら、メデイア出演や雑誌等での対談、執筆等多数。ご尊父は、ハンドボール界大御所の青木崇先生。
◯ 『プレジデント4月号』を拝見しました。先生ご自身が「プチ断食」により、舌癌を克服されたと伺いましたが――― 40歳の時に舌癌を患い、死の恐怖を味わいました。内分泌代謝の臨床医として、これを全治させたことで、栄養代謝による、がん治療・予防をライフワークにしています。動脈硬化性疾患やがん再発予防により、患者さんの「よりよい明日のために」精進しています。◯ 「空腹こそ最良のクスリ」と言われますが、そのメカニズムを教えて下さい。―― 空腹は、体重や体脂肪を減少させ、糖尿病、がん、心筋梗塞や狭心症などの予防に効果があります。一日3食摂り、前に食べたものを消化している間に、次の食べ物が体内に入ってきますと、内臓は休むことなく働き続けなくてはなりません。当然内臓は疲弊してしまいます。◯ 具体的な臓器の働きにあわせて、教...
〈取材協力、新聞班〉
さかもと りょうたろう氏 屋代中出、高校第56回。柔道班OBで、現在、ポーランドに家族と在住。ワルシャワ日本語学校教頭。
ウクライナ支援の経緯 ポーランドの大学院で学んでいた頃からウクライナ出身の同級生が多くいた。そのためウクライナで戦争が始まったと聞き「なんとかしなければならない」という気持ちになった。さらに自分の子どもと同じような歳の子どもたちが寒い中、国境で避難を待っているうちに亡くなってしまったというニュースを見て居ても立っても居られなくなった。ロシア語を話すことができたことが、支援を始める決意を確かなものにした。支援の現実 支援には大きく分けて3つがある。 ウクライナ人家族の支援では行政手続きや通訳、その他の食費や服など含め行政からの支援はほとんどなく、現在は個人の負担となっているためここに一番お金と時間が割かれているのが現状。 ポーランド国内に避難しているウクライナ人には車がない人の足になったり、SNSを使って連絡をとり、精神的な支援を行っている。またウクライナの国内避難民への支援は、一番支援が必要となっている。テントやマット、電気ヒーターや防寒具...
信州大学副学長・工学博士 天野良彦(高30回)
信州大学副学長で工学部長(学術研究院工学系長)の要職にあられる。生物機能科学がご専門で、地域におけるバイオマス資源を有効利用するための技術開発分野の第一人者。
高校を卒業して、今年で45年が過ぎようとしている。長いようであっという間の出来事であった気もするが、高校時代の良き思い出が今の自分を作ってくれたように思う。とにかく高校時代は楽しかった。部活に麻雀、友人との駄弁り、それらのすべてが楽しくて、高校へ通うのが毎日励みとなっていた。 まず、部活はバスケット班で、毎日練習に明け暮れた。顧問は山浦先生で、熱血な指導が今も思い起こされる。〈註1〉県大会の準決勝で延長の末負けはしたが、最高身長の生徒が180㎝に満たないチームが、190㎝台の選手がいるチームに勝つことができたのも、先生の考案した頭脳的なフォーメーションプレーのおかげであったと思う。自分はベンチウォマーであったが、部活がなければ高校生活は寂しいものであったであろう。 また、インターハイに出場経験のある先輩方も練習を見に来ていただき、指導して頂いた。これも屋代高校の良き伝統であっ...
ヒーリングカフェ熊之助・店長 神 戸 聡(高29回)
大手製薬会社を退職後、戸隠村に「ヒーリングカフェ熊之助」を開設。「ヒーリング」の名称は、「神戸カウンセリング研究所」を都内で経営する奥様が、戸隠を訪れた際「その自然に感動して」つけられた。また「熊之助」は、この場所がご両親の別荘地で、祖父の熊之助氏が所有していたことに因む。
屋代高校創立100周年、誠におめでとうございます。 去年、友人から屋代高校の創立100周年の話、また同窓会館も新築されたことを聞き、ふと懐かしくなり、一人母校にお邪魔させていただきました。母校は校舎もすっかり新しくなり立派な同窓会館が併設され、まさに開校以来引き継がれてきた[質実剛健]の校風にぴったりの雰囲気に、心から感激しました。 私は卒業以来、大学、社会人として地元を離れ、45年振りに母校に戻ってきたので、感激はひとしおであり、在学中のさまざまな思い出が交錯しました。特に強烈に思い出されたのは入学直後の応援団を中心とした先輩方の[教室まわり]です。怖くて弁当を半分も食べることが出来なかったことがつい昨日のように思いだされます。これも今となっては良き思...
柳澤昭雄(高4回)
東京外語大英米・米ウイスコンシン大学院、(株)東京銀行、同ニューヨーク支店等を経て、東銀システム開発(株)でご退職。
昭和21年旧制中学最後の生徒として入学以来6年間屋代中学高校に学び、馬齢を重ねて現在88歳となりました。12年先輩となる屋代高校の創立百周年を感謝と共に祝します。 体が小さかった私のために母親が買ってくれた桐の高下駄で6年間も通学したことで、足腰が滅法強く発達しました。中学校に入って何よりも嬉しかったのは、生物の顕微鏡を始め物理や化学の実験道具が充実していて好奇心をこの上なく刺激してくれたことと、先生方が皆立派な紳士で服装もネクタイをキチンとしているだけでなく、教育者としての誇りと使命感に溢れておられることが感じ取れたことです。後になって自分の子供の成長を観察するにつけ、教育の力が如何に偉大で重要なものであるかを実感したものです。絵画や音楽もそうですが、不得意な体育、それから製図や算盤なども後の人生に大変役立つものでした。中でも好きな数学は本当に役に立ちました。 小学校時代は大東亜戦争の為に家では本を読むことを禁じられました。家で本などを読んでい...
高野正樹(高10回)(医療法人社団永高会会長・東京蒲田ロータリークラブ会員・奈良市興福寺財団法人理事長歴任)
66年前、私の高校生活はバスケットボールから始まり、3年の秋季大会まで、朝・昼・夕方、練習に明け暮れる日々を送った。試合にはあまり勝った記憶はないが、一瞬のひらめきで敵陣に切り込みシュートが成功した時の判断力と機敏さ、阿吽の呼吸でパスが巧く通った時の秘かな喜びとチームワークの大切さ、思い出深く、人間形成の土台となった。 しかし、3年夏の学期末試験で、バスケの滝沢先生から渡された英語『0点』は大ショック。それでも先生に、浪人は許されないが進学をしたいと相談したところ、思案の末、放課後の教員室で中学時代の英語の教科書の復讐を約3か月間一緒にやって頂き、他の先生からも「頑張っているな」と声を掛けられ、思えば、母校屋代の先生方のお蔭で、自分の今があり、故郷である。 大学はバスケットが強かった明治大学(商学部)に入学でき、4年生時の就職選考試験の結果、就職課から「英語は芳しくないが、経済学はトップクラスの君の成績に合っている職場だと思う。推薦しよう」と、社団法人全国地方銀行協会に就職が...
中条邦子(高5回)(元同窓会副会長・同窓会「マリーメイト鳩」役員)
しなの鉄道「屋代高校前駅」から沢山の高校生・中学生が降りて来ます。そんな駅も、新幹線も高速道路も全く無かった時代のことを書かせていただきます。 私は昭和25年4月に創立以来初めての女生徒として入学しました。式の当日、多数の上級生が教室の窓から顔を出し、大声で迎えて下さいました。ビックリです。式では女子の一人が堂々と宣誓をしました。 授業は移動教室で受講。国語、社会、数学、理科、英語、体育、芸術(美・書・音)。私達女子は前方の席に塊となっていました。いつもいつも一緒にいました。休み時間も、トイレに行く時も「ひとかたまり」でした。 班活動は庭球班。プールの隣にコンクリートのコートがあり、そこで練習しました。長野の城山での対外試合にも出ました。文化班では英会話などもしました。伝統ある「全校マラソン」―距離の差はありましたが、女子は屋代の街を走りました。生家の前を走り、家人の応援も受けました。 文化祭には食堂のお給仕をしたり、演劇班からはひっぱりダコでした。演目は菊池寛の「父帰る」。圧巻との由。 入学時8名だった女子は、二年...
矢島久和(中18回4年制)(フレックスジャパン株式会社・相談役)
1941年、私は屋代中学に入学した。その年の12月8日に太平洋戦争が始まった。終わったのが1945年8月15日、陛下の玉音放送で無条件降伏したのであった。だから、私の中学生時代は戦争で始まり戦争で終わっている。 普通に教室で勉強できたのは2年生までである。3年生になると、農家へ手伝いに行ったり菅平に開墾に行ったりした。その時、力のある友達が私の隣で私の分まで手伝ってくれた。大本営工事のモッコ担ぎや「どぶら」の埋め立てにも動員された。「どぶら」は昔千曲川の氾濫で出来た大きな池である。埋め立ての終わりになると、池の魚が一杯寄り集まってきて壮観だった。特に大きな鯰が目についた。 屋代中学で忘れられない先生は長谷川五作先生(生物)と淡中益郎先生(校長・数学)である。この両先生に教わったことは私の生涯の宝である。 3年生の夏から秋にかけて三ヵ月間、木曽の山奥の発電所工事に動員され飯場暮らしをした。午前一回午後一回発破がかけられ、建物の陰に隠れて、飛んでくる破片を避けた。男らしい仕事だと思った。 当時の中学校は5年制で、4年が終わると...
第18回屋高フォーラム(生徒会誌々上)
令和3年10月9日(土)に開催予定であった「屋高フォーラム」は、新型肺炎の感染拡大により、学校と協議の結果、昨年に続き生徒会誌『鳩陵』への誌上開催とさせていただきました。
北海道大学化学反応創成研究拠点・拠点長 前田 理 氏(2021年ノーベル化学賞リスト教授の共同研究者)
【講演要旨】 すべての物質は原子を構成単位として成り立っているが、なぜ構成単位が分かっていながらその挙動を自在に明らかにすることができないのか、という小学生時代の疑問が、今の研究の原点となっている。そして今、コンピュータと量子化学計算を用いて、この課題を世界に先駆けて開発することに成功した。化学反応は、分子が安定な構造から別の安定な構造へと変化する過程であるから、反応物の構造から生成物の構造へと分子が変化する過程を調べれば、化学反応における分子の挙動を明らかにできるが、例えば1点当たり1分で計算できたとしても、1030秒(317垓年)要してしまい、これを調べることが不可能になってしまう。
◆
この課題に、前田教授は、人工力誘起反応(AFIR)法(註2)という計算法を開発し解決し...
◯ 千曲市での精神科クリニックは初と承りましたが、島田クリニック(島田一秀院長、高31回)) の「神経内科」とは、どう違いますか?―― 神経内科は、内科の一つの分野で、脳・脊髄・神経・筋肉等の病気を診ます。それに対して、精神科は、精神的な原因による気分や身体的な症状を扱う領域で、心療内科や神経科がこれに入りますね。◯ 精神科医を目指すことになった動機など、教えて下さい。―― 駒ヶ根市や静岡県の医療センターで研修医をしていた時に、精神科は、「人の生き方、いかに生きるか」という面で、患者さんをサポートできる分野だと感じたことが大きかったですね。現代のストレス社会の中で、患者さんの生き方をサポートすることを使命にしたいと思っています。◯ 開院されて2か月、患者さんの中で青少年の占める比率はどのくらいですか?―― 10代、20代の若い方は、全体の3割くらいを占めています。しかし比較的軽症な患者さんが殆どで安堵していますが、ストレスやSNS等ネット社会の影響を感じています。外来診療のほか、オンライン診療や訪問看護を含めて、お役に立てる医療を目指してまいります。◯ 最後に、高校時代の思い出や、後輩の生徒達にひと言お...
次の方が受章されました。誠におめでとうございます。(敬称略)▼瑞宝中綬章 近藤慶之(高10回)現住所 千曲市▼旭日小綬章 原 利夫(高6回)現住所 千曲市▼瑞宝双光章 佐藤則善(高4回)現住所 長野市
元山口内科小児科医院・院長 山口 昭
旧制屋代中第18―5回、松本医専(信州大学医学部の前身)卒業、医学博士。旧更級郡羽尾村のお生れで、旧姓は高村。
コロナ感染症の感染拡大が懸念され、社会的にも不安で厳しい昨今、この度、私共の同級生(屋代中学18回卒)南澤道人方丈が、永平寺貫首と曹洞宗管長にご就任されますことは、誠に大きな喜びに存じます。
◆
道人方丈とは、私の生家(高村)が、彼の龍洞院の檀家の一員であったり、旧制屋代中学の同級でもあり、多くのご縁を頂いております。戦後、私の父親の他界にあたっても、道人さんにお世話になったものです。 彼は、温厚なお人柄ですが、意志のお強い、しっかりとした方、かつ学生時代から大変優秀な賢人です。当時の中学には申合わせがあり、質実剛健がモットーでしたから、通学距離が4キロ未満は徒歩通学で、自転車は不可でした。また真冬でもオーバーコートを着ないということで、お互い通学をしていました。 私が驚いたことは、太平洋戦争末期(昭和19年頃)に、ご長男である道人さんが、自ら海軍兵学校に進むと言われたことです。私には、その理由がどうしても判らなかったものでした。後で知ったこ...
国立感染症研究所・主任研究官 松岡佐織 氏
今なお流行が収束する見通しが立っていない、この感染症が厄介なのは、「新型」である故、ウイルスの特性がわからないこと、感染しても無症状のことがあり、「見えぬ感染の進行」が拡大防止を難しくしている。一方、基礎医学研究者は国内の重症化率の低さに着目し、我が国の特殊事情の機序に迫ろうと研究を進めている。 ワクチン開発については、令和2年(2020年)12月、英国で新型肺炎に対するワクチンの第一号が承認され、感染拡大防止の一手として大きな期待がかかっている。ワクチンには、発症予防ワクチン、治療ワクチンがあり、承認されたワクチンは、症状を軽減する効果が期待され、治療ワクチンも重症化を抑え死亡率を低下させるなどの効果が期待できる。今後、接種後に充分な免疫が誘導されたかなど、長期的な視点で、検証を進めていくことが我々の任務と考えている。
篠ノ井西中出、高校第43回。東京医科歯科大医学部から東京大学大学院で医学博士。2009年「米国レトロウイルス会議若手研究者賞」を受賞され、主としてエイズワクチン開発分野でご活躍中。
関西学院大学教授(国際関係論)櫻田大造 氏
屋代高校で身に付けた英語力が、その後合計7年近くの米・加・ニュージーランドでの学生生活や研究者生活に極めて役立った。英語学習は、ウェブが使える今や、どこにいても、マイペースで、スマホ・タブレット・パソコンを利用して、勉強することができるが、基礎力は、やはり語彙数と文法だ。語彙数が5000語を超え、文法も一通り終えたら、興味があるような内容の文章を、たくさん読んでいくこと。 リスニング能力向上のためには、ともかく意味の分かる英文を聞きまくること。ユーチューブとかのウェブでもCDでもいいので、聞きつつ、可能ならシャドーイングと呼ばれる、聞きながら話す発音練習もやってみることを薦める。いずれにしても、その基礎力は高校時代に身につけたように思う。
篠ノ井西中出、高校第31回。上智大外国語学部からシアトル大、トロント大大学院でカナダ外交政策を専攻され、国際関係論がご専門で、大阪大学博士(国際公共政策)。国連英検特A級、英検1級、TOEFL 637点(PBT)取得。
曹洞宗大本山・永平寺の最高位である貫首に、旧制中第18回の南澤道人氏(93歳)が就任された。祝意として同窓会より祝電を差し上げたところ、下記のようなご丁重なるご書面と共に、九谷焼茶碗(写真)をご恵贈いただきました。
謹言 大本山永平寺不老閣 福山諦法大禅師猊下の御退董により、拙衲浅学非才にもかかわらず本山八十世の猊座を汚すこととなり、誠に僭越の至りと慙愧に堪えません。然し乍ら任に当たって他に譲り難しとのお示しもあり、老残の身をもって入山致しましたからには一日たりといえども命の限り努めて参らねばと存じます。 皆様方には何かとお世話になることと恐縮に思いますが、何卒よろしく御教導賜りますようお願い申し上げます。 尚、入山の記念に粗品ですがご笑納下されば幸甚に存じます、寿の字は不老閣にあやかり命長しの意を込め、皆様のご多祥をお祈りして書き入れました。敬具令和二年九月吉日 南澤道人九拝
「コロナ」の時、改めて医師の資質を考える呼吸器内科専門医 吉野 悦子 初めまして、吉野悦子と申します。屋代高校を卒業し、はや20年以上たちました。卒業後は自治医科大学医学部で学び、現在は内科医として働いています。 医師として15年以上たちましたが、時節柄、改めて医師になる資質とは、と考える時、それは「責任感」「思いやり」があるかどうかではないかと思います。医師の判断で人の命が左右され、また思いやりがなければ、病人と向き合えないからです。◆ では、私の高校時代を振り返ってみましょう。決して勉強ばかりではなかったように思います。毎日、自転車通学片道10㎞、剣道部に所属していました。思春期とも重なり哲学的なことも考え、勉強以外にもたくさんのことを学ぶことができた時期でした。 小学生のころから、アフリカの医療に恵まれない子供たちを見て医師になりたいと思っていました。スポーツで培った体力と集中力で、誰よりも強い気概をもって勉強に取り組みました。このころの勉強方法は、少し難しいレベルかつ良質の問題集を何回もする方法でした。数学と物理については、たいていの問題は解けるくらい理解を深めていたように感じてい...
大学野球では全国優勝 !新潟リハビリテーション病院 院長 山本智章 40数年前の夏の日に想いを馳せています。 当時、長野県は12学区制が導入されて屋代高校も進学校として新たな時代を迎えていた。そんな中でも、野球班は質実剛健をモットーにどの班より過酷な練習に耐え、甲子園を目指していた。文武両道とは程遠い高校生活の中で、いつのまにか班員が8人という存亡危機になったが、そんな時2年の秋から登場した赤地憲一新監督が選手の自主性を重んじるという、当時の高校野球に新風を吹きこみ、まさに屋高野球班の新たな伝統の始まりだったように思う。 迎えた高3年の春、滝沢洋司キャプテン(註1)を中心に力をつけ、春は北信のベスト4になった。しかし背番号1をもらっていた私は、練習試合で脚を骨折し、戦線離脱することになり、走ることもできない失意の中で最後の夏は代打で(註2)高校野球は終焉した。◆ でも野球への情熱は消えることなく、浪人生活を経て新潟大学に進み、医学部野球での全国大会優勝、全日本準硬式野球大会に北信越代表で出場し、東京6大学の法政大学に勝利するなど、高校野球の経験がその後の自分の人生を彩ってくれたことを感じ...
屋代高校同窓会員で下記の皆様が受章されました。誠におめでとうございます。敬称略 ・瑞宝中綬章 鳥羽栄治(高11回) 上田市 ● 瑞宝小綬章 赤地憲一(高17回) 千曲市 ● 瑞宝双光章 渡邉 稔(併中1回) 長野市 ● 瑞宝双光章 小林和久(高21回) 所沢市
次の方が受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。 (敬称略)▼旭日中綬章高橋 宏(高9回)現住所 長野市川中島町▼瑞宝小綬章高山 吉富(高19回)現住所 上水内郡小川村
新人公演で2番手役に大抜擢!!高35回 森村たまき 屋代高校出身、宝塚歌劇団星組で男役としてご活躍中の朱紫令真さんは、7月12日(金)より宝塚大劇場で、9月6日(金)よりは、東京宝塚劇場で公演される『食聖?The God of Stars』『Eclair Brilliant(エクレール・ブリアン)』にご出演されますが(筆者の持つパンフレット)、今回「新人公演」で2番手役を務められることが発表され、話題を呼んでいます。 「新人公演」というのは、東西公演中に各1回だけ開催される入団7年目までの生徒(宝塚歌劇団では、劇団員のことを「生徒」といいます)のみによる特別な公演で、通常は演じることのできない大きな役を若手が経験する機会です。またトップ役、2番手役に選ばれた生徒は、直接上級生から指導を受けられるだけでなく、将来の「スター候補」とみなされ、大きく注目されることになります。今回の公演は、星組トップスター紅ゆずるさんとトップ娘役綺咲愛理さんの退団公演としてとりわけ注目も大きく、また朱紫さんが演じるのは時期トップスター就任が決定している礼真琴さんのお役。歌も踊りもお芝居もどっさりの大役です。 朱紫さんは、これまでの新人公演で...
誠におめでとうございます。瑞宝小綬章(敬称略)小林嘉征(高12回)長野市
次の方が平成30年秋、受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。瑞宝双光章中沢 要良氏(高15回)瑞宝小綬章小津 光由氏(高17回)高野 光明氏(高19回)
平成30年春の叙勲の栄に浴されました。誠におめでとうございます。 旭日小綬章倉田竜彦氏 (高15回)長野市栗林正清氏 (高18回) 長野市 瑞宝小綬章 窪田芳夫氏 (高16回)長野市 小林 修氏 (高16回)千葉県 瑞宝双光章 吉川弘義氏 (高15回) 千曲市 瑞宝単光章 湯浅幸美氏 (高17回) 千曲市
矢羽勝幸氏(二松学舎大学文学部客員教授・高16回)は、この度多年に亘る近世俳諧研究(一茶研究)の業績により、第25回の信毎賞を受賞した。上田市在住。 高校時代は福沢武一先生(国語、母校在職昭和33年~38年)の授業に魅了され国文学を志し、書店で見つけた小林計一郎(1919年~2009年)の一茶に関する本に出会い一茶研究に入る。『一茶全集』(昭和55年)、『一茶の総合研究』(昭和62年)、『一茶大事典』(平成5年)の刊行などで実績が評価され、一茶研究の第一人者とされ、『一茶全集』では、芭蕉祭文部大臣賞と毎日出版文化賞を受賞された。
次の方が平成29年秋、受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。瑞宝中綬章 小林 輝行氏(高9回)旭日双光章 中澤 政好氏(高10回)旭日双光章 内山 富之氏(高17回)
〇お若い教授のご誕生ですが、ご専門について教えてください。 専門分野は理論化学・計算化学で、コンピュータを用いて化学反応のメカニズムを解析したり新しい化学反応を予測する、という研究をしています。〇高校時代、印象に残ることは。 剣道班に3年間在籍し、弱いながらも日々練習に励んだことが、一番の思い出です。研究はうまくいかないことだらけですが、粘り強く挑戦していく強い気持ちを学べたと思います。長崎への修学旅行のホテルで朝方までディスカッションをしたことや、理数科の実習の一つとしてウニの発生実験を泊まり込みで行ったことなども、印象に残っています。その頃は、研究者への漠然としたあこがれはありましたが、明確な強い意志はありませんでした。〇後輩諸君には、どんなことを期待されますか。 研究者を目指す人がいれば、できるだけ難しい課題に挑戦してほしいと思います。解決に10年以上を要するような、誰もやりたがらない難題に粘り強く取り組めば、10年後にはその分野の世界トップに立てるはずです。頑張ってください。 私の後悔は、高校時代に英語を勉強しなかったことです。意外かもしれませんが、研究で世界と渡り合うためには...
〇SBC信越放送の社長に就任されたご所感はいかがですか。 ―テレビ業界も変革を迫られている時代で、BSやCS放送で4K・8Kなど高画質を追求する本格的な放送が、2020年の東京五輪を目標に進められており、地方局もその影響を受けることになります。この技術革新の時代、大変な時代にいるというのが率直な感想です。 〇高校時代は陸上班で活躍されたとお聞きしましたが。 当時の屋代高校には陸上界の大御所・藤本勝彦先生がおられ、2年先輩達は長野県大会と北信越大会、共に総合優勝を果たしました。私は中学時代に2000Mを得意としていて、伊藤国光選手と一緒のレースをしたことがあります。〇藤本先生についてお伺いします。 厳しい先生でしたが、同時に大変情熱がおありで、大会が近づくと、電車通の我々を朝、屋代駅まで迎えて、車で学校につれて行き、短時間でも練習させるのです。その意には敬服しています。〇後輩諸君に期待したいことをお願いします。 可能性に満ちた附属中・高校時代、勉強もクラブ活動も「北信で優勝」とか、具体的に目標を決めてチャレンジしてほしい。同好会のようなものでなく、真剣に「価値あるもの」に向かっていっ...
次の方が受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。平成28年度秋の叙勲旭日小綬章 安藤 公裕 氏(高13回)東京都品川区平成29年度春の叙勲旭日小綬章 下崎 保 氏(高8回)千曲市稲荷山旭日単光章 若林 健二 氏(高16回)千曲市上山田温泉
誠におめでとうございます。旭日大綬章 北沢 俊美 氏(高8回) 長野市川中島町 前参議院議員、防衛相(平成21~23年) 同窓会名誉会員旭日双光章 春原 隆雄 氏(高17回) 須坂市小山 法務行政功労
次の方が2016年春、受章の栄に浴されました。誠におめでとうございます。 旭日双光章 青木 崇様(高9回) 千曲市桑原
○高校時代にはインターハイに出場されたそうですね。― はい、3 年生の時、3000m障害で9分22秒53の記録で県大会で優勝して、北信越大会でも3位に入り、インターハイに出場できました。とても大きな思い出として残っています。○信州新町からの通学、陸上との両立は大変ではなかったでしょうか。―陸上班の練習を6時30分に終え、篠ノ井駅まで自転車を走らせ、7時のバスに乗りました。8時に自宅に着くと9時までの60分間で、食事・入浴やその他全てを済ませます。そのあと2時間の学習を毎日心がけました。○時間の使い方に大いに学ぶものがあります。東大の陸上運動部ではどのような生活を送られましたか。―当時も今も、箱根駅伝大会に出場することを大きな目標の一つにしていますね。毎年夏に2?3週間北海道で行われる長距離合宿の参加など、大学の部活ならではの思い出が強く印象に残っております。また、大学の部活動は大規模なため、高校時代とは違い、数十人もの仲間と切磋琢磨しながら練習できたのもよい思い出です。怪我のため練習ができないことが多く、悔しい思いをしましたが、陸上部では大変貴重な経験をさせていただきました。○文武両道をめざす、屋高...
○最近、憲法問題や「子どもを性被害から守るための条例」の制定にかかわり、マスコミによく登場されますが、会長職はご多忙のようですね。 ―弁護士としての活動は時間的に大幅に制約を受けますね。しかし弁護士法では「社会秩序の維持及び法律制度の改善」を弁護士の使命と定めていますから、こうした活動は、いわば我々の使命と考えています。○弁護士になられた直接の動機は「悔しさ」にあると伺いましたが。 ―はい、司法試験を受けようとした時、先輩から「お前は受からないと思うから、試験は止めて就職したらどうか。」と言われました。今考えると、その当時の自分は、先輩の言われるレベルであったと思います。でも「今に見ていろ!」というメラメラと心に燃え上がるものがありました。それまで遊び半分であった弁護士になろうという気持ちが、それ以降本気になったのです。○「屋高フォーラム」の中での「能力は努力によって獲得される」というお言葉を思い出しました。 ―努力が継続できるには、素晴らしい先生に出会ったり、出来事に感動するとか、そういう中でそれが強い決意や意欲となります。 倦まず飽きまずコツコツと努力を重ねていき、ふと周りを見回すと...
心臓外科医として、心筋梗塞症のバイパス手術をわが国で最初に成功されるなど、国際的な業績をあげられた瀬在幸安博士(日本人工臓器学会名誉会長・日大第10代総長・米エリザベスタウン大名誉博士、高校第1回)の、千曲市では初となる「千曲市名誉市民」顕彰式典が、平成27年10月31日(土)千曲市創造館において開催された。瀬在博士は、奥様喜代江様と共に岡田昭雄市長から顕彰盾を授与されたあと、満員の聴衆をまえに「医学と医療―私の歩んだ道」と題して講演をされた。 この中で先生は、フルブライト留学生としての研修時代以来の卓越された幾多のご功績について披瀝された。 同窓会による祝賀会を開催 翌11月1日(日)には、同窓会主催の「瀬在博士名誉市民祝賀会」が上山田ホテルにて開催された。宮﨑和順名誉会長、竹内長生前副会長、横川正秀前事務局長ほか、旧・現役員ら12名が出席して、先生の偉業を讃えるとともに、同窓会としても「名誉会員」の称号をご受諾いただいたことに、謝意を申し上げた。 母校を訪問、講演される 11月2日(月)には、母校を訪問して全校生徒にご講演をいただいた。講演を聴いて、2年生の伊藤史也君は「私も医師にな...
ひと・クローズアップ 高校第26回のご卒業。信州大学工学部大学院(電子工学)を経て神戸大学博士課程に進まれ、電子情報通信分野で工学博士。長野高専・信州大学助教授から、平成17年教授、同24年から信州大学評議員を務める。○どんな高校時代でしたか。 松代中時代に水泳400M個人メドレーで県で優勝し、高校でも水泳班に入りました。しかし水泳は、中学で「燃え尽き」たようです。物理と数学が大好きで「難問集」を買い求めて解くことが楽しかったです。しかし国語や社会科が大の苦手で、当時の高校入試には社会科がなく、4教科だったので屋代高校に合格できたと思っています。○研究分野について教えて下さい。 情報通信工学が専門で、キーワードは「移動通信、可視光通信」です。可視光通信とは、光の強弱を信号に置き換えて通信するもので、昨年は小型人工衛星「ぎんれい」においても、その実験を行いました。今後にむけては、IOT(Internet of Things)と言われるように、すべての通信機能をインターネットにつなげる分野に取り組んでいます。○中・高校生への期待をお願いします。 附属中には入試がないことが良いことです。受験のためにやる勉強では探究...
同期会・支部総会
実施日:9月15日(木)会 場:南長野ゴルフ俱楽部参加者:25名優勝 山﨑 好文(高16回)準優勝 矢澤 修(高13回)3位 久保田和彦(高13回)【連絡】第72回同窓会ゴルフコンペ 令和5年5月18日(木) 南長野ゴルフ俱楽部 長野市大岡中牧274の1 ☎026・266・2000
支部長 市川 泉(高14回)開催日:8月27日(土)会場:埴生公民館参加者:9名創立百周年事業の成功を! 8月27日土曜日、埴生公民館において、コロナウイルス感染拡大で休会していた総会を、赤地会長のご出席を賜り、3年ぶりに開催しました。 現下の状況と懇親会の取りやめで、出席者は支部役員だけでしたが、来年の母校創立100周年に当たり、事業への協力・支援について話し合いました。その中で、100周年事業に支部として「寄付」すること、また我が支部において来年の総会に合わせ「創立100周年祝賀会」を開くことが決まりました。 「魂のふるさと屋代」の《魂》に思いを巡らし、母校の更なる発展と同窓生の御健勝、御活躍を祈念したいと思います。
実施日:令和4年5月12 日(木)会 場:南長野ゴルフ倶楽部参加者:17名優 勝:桑原茂夫(高10回)準優勝:小林 武(高16回)3 位:北島一男(高6回)
【連絡】第71回同窓会ゴルフコンペ令和4年9月15日(木)南長野ゴルフ倶楽部長野市大岡中牧274の1℡ 026・266・2000
支部長 池田哲彦(高17回)
期日:令和3年11月6日(土)会場:川中島公民館分館参加者:10名
引き続くコロナ禍にあって、当初予定の第25回川中島支部総会は、残念ながら昨年に続いて「三役・幹事会」をもって総会に代えることとなりました。(令和3年11月6日) 支部活動に係る喫緊の課題は、大きく①「活性化をどう図るか」と②「会員の増加対策」である。令和2年度は精力的に会員の募集を行い、新規会員が6名増加したにもかかわらず、高齢化に伴う脱退等もあり、結局は3名減の172名となりました(前年会員数175名)。令和3年度の活動計画では、組織基盤の強化及び底辺の拡大化を図るべく、女性役員の登用に向けて「女性会員の会」を設ける方向で提起しました。
◆
「三役・幹事会」審議終了後、フリートーキングを実施し、川中島支部の今後のあり方について意見交換しました。以下その意見です。①女性役員の登用については、先ず女性会員から直接意見を伺った上で、必要なら規約改正する。②現状女性役員の候補者は見当たらない。③若い女性会員が多いのだから、年上の女性でそれを束ねていく人が必要。④結婚して川中島から他へ出て行く人もいる。一方で結婚...
実施日:9月16日(木)会 場:南長野ゴルフ俱楽部参加者:31名優勝 竹下公丈(高11回)準優勝 村上 巖(高11回)3位 竹内 保(高11回)【連絡】第70回同窓会ゴルフコンペ 令和4年5月12日(木) 南長野ゴルフ俱楽部 長野市大岡中牧274の1 ☎026・266・2000
支部長 村山和久(高17回)
期日:令和3年9月11日(土)会場:上徳間公民館十夜館 五加支部役員会を9月11日(土)に上徳間公民館十夜館において役員14名の参加で開催し、以下の事項を協議しました。(一)令和二年度歳入歳出決算及び令和三年度歳入歳出予算案。(二)十月開催予定の定期総会・懇親会及びマレットゴルフ大会については、新型コロナウィルス感染防止の為中止。(三)支部会則の改定について。参加者全員による活発な意見交換がされ、全案が承認された。総会中止の為、役員会議事録の決定事項と会員名簿等は、後日支部会員全員に配布した。
令和3年9月16日(木)南長野ゴルフ倶楽部長野市大岡中牧274の1連絡先026・266・2000
支部長 髙野敬道(高19回)
《年一度支部会報を発行》 本支部は、雨宮・土口・生萱3区の合同で本年4月現在81名の会員で構成されております。総会は毎年10月開催しておりますが、コロナウイルス感染防止の為昨年は中止。会員には会計報告等資料配布にて済ませました。 支部の誇れるところといたしましては、年一度支部会報を発行しております。昨年度で25号となりました。支部情報、会員寄稿等会報「鳩」の附則地区情報を掲載しております。25年前の第1号は平成8年9月発行でした。
支部長 山城修二(高17回)
《生まれたての支部です》 当支部は一昨年半ばに発足しました。それまでは親睦会を行ってきましたが、先輩である前坂城町町長 中沢 一(ひとし)様の熱意の元、発展し支部となりました。 しかし、すぐにコロナ。集まるな、触れ合うな、また最近では飲むな、では家に籠って待つしかない。まだ活動実績がありません。ひたすらワクチン接種が終わって落ち着くのを待っています。この夏の終わりごろには動けるかと思っています。
支部長 栗林秀夫(高19回)
《今年こそ支部総会を!》 西条支部は、現在会員数は59名、うち役員構成は12名で年2回の会報配布が基本になっている。しかし、ここ数年間は新型コロナの感染拡大等で支部総会が開かれないでいる。そこで、今年こそ支部総会を開催するべく準備を進めています。 今後ワクチン接種が進み、感染拡大に歯止めがかかれば、八月の会報を配布しながら、支部総会開催の案内を配布したいと思っています。 課題は、やはり支部活動の活性化と若年層への加入勧誘。まず、支部総会の内容を魅力あるものに工夫して、一人でも多く参加できるように取り組みたい。
支部長 小林俊一(高14回)
《春の叙勲受賞者が我が支部に》 昨年からのコロナ関連の暗いニュースが続いている中、今春(4月29 日)発表された叙勲者が私共の支部におられます。瑞宝中綬章 近藤慶之氏(高10回卒)(81歳)です。氏は信州大学繊維学部の名誉教授です。 100周年に関しては、新旧学生の班活動(文化・スポーツ関連含む)、あるいは生徒会活動等でお世話になった先生方の最近の動向等がわかるコーナーを設置して、100周年記事等を載せていただければ幸いです。
支部長 田野口紘二(高12回)
《仏文学者・詩人大島博光氏(旧制中1回)の出身地》 当支部(旧更級郡西寺尾村河東地区)は、松代大橋東側・長野~松代線沿いにある140戸前後の小集落です。地区内には、長野インターや、長野ロイヤルホテル、消防署、老人福祉施設等と、スーパー・コンビニ・食堂が各々2軒出来るなど、小さな村が町から市になり以前と大変変わりました。 旧制中学1回生(昭和3年卒)の仏文学者・詩人大島博光さん(14年前、松代町清野地区に「大島博光記念館」開設)から現在まで100年近くになり、卒業生も100名位います。中には、親子三代や親子兄弟5人が母校にお世話になったという家庭もあります。 同窓生の多くは転出し、現在会員は16名(うち女性2名)です。小さい支部ながら、毎年総会は開催してきましたが、昨年からコロナ禍で総会は開催できませんでした。それでも会報の配布や会費集め等をしています。会員一同100周年記念事業の成功と、母校の益々の発展を祈念しております。(田野口様からは、美しい「大島博光記念館ニュース」も送られてきました)
支部長 清水信孟(高14回)
期日:令和3年6月20日(日)会場:篠ノ井交流センター塩崎分館参加人数:13名(来賓を含む)
ご来賓として赤地会長をお迎えして2年ぶりの開催で、支部長挨拶、赤地会長のご挨拶と本会の総会・学生の状況等詳細にご説明頂き、議事に入りました。支部事業、本会の100周年事業概要報告、支部会計報告、事業計画(案)の審議、役員改選が行われ、
支部長 山岸敏明(高19)副支部長 岸田公夫(高21)事務局長 田中幸廣(高27)および顧問・地区幹事を選任・承認されました。
懇親会は中止とし、短時間でしたが出席者の自己紹介とスピーチを行い、地域、同窓生間で、新たな交流が生まれることが期待できました。最後に、記念写真撮影後、散会となりました。
実施日:5月13日(木)会 場:南長野ゴルフ倶楽部参加者:18名優 勝:島田久敏(高15回)準優勝:久保嘉男(高13回)三 位:関森 毅(高10回)
支部長 池田哲彦(高17回)会員減少・若年層の未加入 今後の在り方等についてアンケート実施 川中島町には、中津・御厨・川中島の三支部があり、その一角「御厨支部」が最近休止に追い込まれた、との話を聞きました。私ども川中島支部においては、平成23年には235名の会員を有して居りましたが、高齢化に伴い年々減少し、令和1年には180名と、実に55名の減少となりました。特に若い世代や女性の加入者が少ないこと、役員のなり手確保が厳しい等の現状に、強い危機感を覚えております。 こうした現状を打開すべく、支部活動の在り方、充実を図るため広く会員の声を聞こうと、3月にアンケートを実施しました。54名から回答(回収率30%)を得、三役・幹事合同会議等でアンケート結果を踏まえて、10月にその要約報告をしました。同時に本来11月に開催予定の第24回通常総会を中止(新型コロナのため)し、三役・幹事合同会に代える旨の通知をしました。(資料添えて) 今後はインターネットの利用(ホームページ等の研究・検討)を含め、本部の広報の支援などもいただきながら、加入会員の増加対策、更なる支部活動の充実に努める所存です。 百周年については部...
支部長 清水信孟(高14回)支部総会中止、メール審議 本会の支部長会、総会の中止に準じ、当支部でも支部総会は中止とし、三役によるメール審議を経て、「令和1 年(2019年)度報告、令和2年(2020年)度事業計画」を作成し、8月の会報と同時に配布し、本年度の支部総会に代替えのお願いをいたしました。⑴報告の概要・本会状況報告・支部状況報告⑵ 令和元年度事業報告、会計報告⑶ 令和2年度事業計画等について①事業計画・ 本会事業(会議)への参加、支部会員の増強、その他② 令和2年度塩崎支部役員について・三役、顧問―留任・区幹事―一部変更③その他
支部長 窪田広夫(高20回)会員減少・若い会員勧誘に苦慮 3月、8月に会報「鳩」の配布、会費の徴収。今年はコロナ感染拡大防止の観点から、本会の総会同様に役員会の承認をもって総会としました。会員の減少は、会員の高齢化の為自然減となる事はしょうがないことですが、新しく若い会員を勧誘することはなかなか厳しいものがあります。 百周年に向けては百年史の作成、後輩の学習環境の整備、クラブ活動等への補助を強化してほしい。
支部長 清水昭晴(高21回) 会館建設寄付率61%の活動 我が屋代支部の状況は、現在会員432名、うち役員幹事22名の構成。会報配布に合わせた会費納入訪問等、対面活動を基本としている。会員の支部への協力度は高く、会費納入率もさることながら、同窓会館建設寄附率は61%に上った。同窓会とは、《屋代高校と今の自分の立ち位置》を再認識する中、WinWinの関係にある、と地元支部ながら自負しているところである。 なお、同窓会の活動が鳩陵会館を拠点とした、一層地域に開かれたものとなるよう祈念している。また、NPO法人「鳩の会」の導入も実効が上げられつつあると受け止めている。法人とは「法の下に人格を与えられた社団」であり、「利益を出してもよいが配当してはならない」というものであるから、その精神を活かした更なる活動の飛躍を期待したい。
◆
百周年に向けては次のような企画はどうであろうか。ア 記念誌または記念パンフレット、記念品を会報と共に配布。イ 母校への記念植樹、または記念品の贈呈。ウ タカラジェンヌ朱紫令真さんの観劇ツアー企画、または講演会。
支部長 村山和久(高17回) 瀬在幸安博士の故郷 瑞宝大綬章受章・千曲市名誉市民第一号の瀬在幸安博士(高1回)は日大医学部を卒業後に心臓外科研究のためアメリカに留学。帰国後、日本で初めて心臓の冠動脈バイパス手術に成功し、数多くの功績を残しています。平成8年には第10代日大総長に就任。3期9年を務められた。平成18年には瑞宝大綬章を受章し、平成27年、千曲市の初代名誉市民となられた。我が支部の誇る大先輩である。 なお、支部総会は中止。8月11日(土)に支部役員会を開き、各議案は役員会にて承認された。
支部長 市川泉(高14回) 被災地仮設住宅へ表札を贈る宮坂氏 宮坂良夫氏(高21回)はエンジン部品などの木型を作る会社の社長。昨年7月から、最大震度6弱だった熊本県の山度(やまと)町などの仮設住宅に計410戸分の表札を贈呈。宮坂氏は11月に表札作りに協力してくれた友人らと熊本県嘉島町に出向き、表札を届けた。この熱意ある行動に対し、熊本県知事から感謝状が贈られた。
支部長 宮崎一雄(高20回)南澤道人禅師(旧中18回)大本山永平寺貫首に就任 曹洞宗の大本山永平寺の最高位である貫首と宗教法人曹洞宗の管長に、本校の大先輩である元龍洞院住職南澤道人禅師(93歳)が、令和2年9月29 日に就任された。禅師は昭和2年旧桑原村生まれ。旧中学18回卒の大先輩である。 永平寺は福井県吉田郡永平寺町にあり、禅宗の一つ曹洞宗を中国の宋から伝えた道元が開祖。総持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏。道元を第一世とする貫首は南澤氏で第八十世(80代目)となる。 なお、曹洞宗の管長とは、現在全国に在る15、000寺の曹洞宗寺院を統括している「宗教法人曹洞宗」の宗務を管理する最高責任者である。
実施日:9月17日(木)会 場:南長野ゴルフ俱楽部参加者:27名優勝 清水佑一(高4回)準優勝 村上 巖(高11回)3位 小林 武(高16回)【連絡】第68回同窓会ゴルフコンペ 令和3年5月13日(木) 南長野ゴルフ俱楽部 長野市大岡中牧274の1 ☎026・266・2000
新型肺炎の感染拡大により、「ホームカミング鳩会」は、下記のとおり、全て来年に順延となりました。令和3年」「ホームカミング鳩会」開催日程令和2.7.1現在 卒業回期(年齢) 学年理事・幹事等(敬称略) 実施期日 高63回(28歳) 両角 篤宮尾菜奈子 9月18日(土) 高60回(31歳) 石川 岳人坂井 拓也 9月25日(土) 高51回(50歳) 平井 正宏 9月4日(土) 高41回(50歳) 小野 鉄明 1月2日(土) 高30回(60歳) 中村モトエ石黒 敏也 11月6日(土) 高21回(70歳) 杉浦 一弥 11月13日(土)
支部長 渡邉 一正(高7回)期日:令和2年4月11日(土)会場:割烹ひさご参加者:11名 本会より徳永次男事務局長にご無理を申し上げご参加いただき開催致しました。 コロナウイルスが最盛期を迎え集会が制限されている中、支部内の人事異動があり、活動がマヒ状態になっており総会の開催が遅れておりました。同窓会会費の納入にも支障をきたす状況を回避すべく、会場の環境を注意深く考慮しながら総会を強行致しました。多くの会員から延期をとの声もありましたが、計画通り実施致しました。台風19号の被害から復興途中の会員も多かったので、強行開催は批判を甘んじて受ける形での実施でした。 集まった会員は、アルコールでコロナを追い出す勢いで楽しく懇親を深め新支部長・事務局長の選出も滞りなく行われ、再出発する体制が整いました。最後に声高らかに校歌「魂のふるさと」の斉唱を行い、再開を期して散会致しました。
会長 重見 憲明(高17回)期日:令和2年2月22日(土)会場:東海大学校友会館参加者:49名 来賓として同窓会本部から赤地会長、長谷川副会長、徳永事務局長、母校より髙澤校長のご臨席をいただき開催しました。 本年は、折からのコロナ事態により急きょ出席を見合わせた会員もあったため参加者が例年になく少なくなりましたが、全員着席にてのゆったりとした総会となりました。 冒頭、重見会長の挨拶と議事の後、35階からの都心の絶景を肴に久しぶりの再会に旧交を温めあうとともに、恒例の応援歌の合唱、お楽しみ抽選会などで大いに盛り上がりました。 本総会のスナップ写真を「東京鳩会」のホームページに掲出しておりますのでご覧ください。(執筆者 伊東 博道(高20回))
支部長 鈴木 英昭(高33回)期日:令和2年2月13日(木)会場:ホテル信濃路参加者:41名(含来賓6名) 令和元年度の県庁鳩会の総会、懇親会を開催しました。総会では令和元年度事業報告のほか、新年度役員を決定しました。新支部長には青木淳氏( 高33回)を選出。その後の懇親会は、同窓会から赤地会長、柳澤副会長、長谷川副会長、学校から髙澤校長先生、そして大畑俊隆県議会議員、望月義寿県議会議員の皆さまをお迎えして盛大に開催されました。来賓の皆様からは、母校や同窓会の状況などをお話しいただき、母校に思いを馳せるとともに、近況を報告し合うなど交流を深めました。最後は全員で校歌を斉唱し、思い出深いひと時を過ごしました。(報告 春原 亘(高56回))
幹事 鈴木 伸子期日:令和2年1月2日(木)会場:メトロポリタン長野参加者:74名 高校40回ホームカミング鳩会は、1月2日にホテルメトロポリタン長野にて開催しました。当初は参加申し込みが少なく、幹事も心配しましたが、SNSなどの活用をしている組もあったとかで、赤地会長はじめ、中川先生、徳嵩先生のご出席もいただき盛会となりました。 同期生のバイオリンに合わせて校歌を斉唱したり、組ごとに近況を報告したりして、あっという間の楽しい二時間でした。 閉宴後、組ごとに二次会へ繰り出す姿もあり、「十年後もまた鳩会をやろう」という声も聞かれました。同窓会の皆様、企画段階から様々なご支援をいただき、本当にありがとうございました。
支部長 安藤 洋(高15回)期日:令和元年11月14日(木)場所:倉科公民館参加者:15名 秋も深まり、周りの山々が紅葉に染まった11月14日、秋晴れに恵まれ、会員14名と本会吉川副会長のご出席の下、屋代高校同窓会倉科支部総会が倉科公民館で開催されました。毎年総会の人員確保に苦慮致しておりますが、今年は例年にない人数で開催することができました。支部活動報告、本会活動状況、先輩原利夫氏の「千曲市の現状と今後」と題した講演を拝聴した後懇親会に移り、日頃のご無沙汰と互いの現況を語らいながら楽しい懇親会となりました。宴の締めとして、吉川副会長の音頭で会員諸氏の弥栄を願って一本締め。その後は「魂の故郷」を斉唱して解散しました。
支部長 西沢修一(高17回)期日:令和元年11月2日(土)場所:川中島公民館分館参加者:16名 本会より長谷川はるみ副会長をお迎えして開催。支部活動・会計報告・役員改選等総会事項を審議決定した。長谷川副会長からは、時宜を得た結婚相談「マリーメイト鳩の会」が立ち上げられたこと、本年の「全国高校ベスト200校」に本校を含め県内4校が選ばれたこと等、充実した現況にあるとのうれしい報告。講演では、丸田善徳様(高11回)から「飾り瓦」についての歴史的意義を、安部映樹様(高33回)からは「川中島駅前を元気に」と夢のあるお話をいただいた。 校歌斉唱後の懇親会は、自己紹介を交え和やかな雰囲気で開催され、女性を含め支部活動の充実を誓い散会した。(報告 池田哲彦・高17回)
幹事 柳町 正人期日:令和元年11月2日(土)会場:メトロポリタン長野参加者:33名 高校20回同期によるホームカミング鳩会は同窓会長赤地憲一先生をお招きして開催致しました。1968年3月卒業以来52年ぶりに再会した方も多くおりました。卒業後は大阪万博はじめ、オイルショック、バブル等を経験し、各分野で活躍され、定年退職後も地域社会のため貢献されている方々ばかりです。受付の時から懐かしい面々との話が弾み、開会の時には学生時代に戻ったように打ち解けた雰囲気となりました。会の終わりに小林大二さんの指揮のもと、校歌・応援歌を歌い閉会致しました。最後に、この会が開催できましたこと、同窓会事務局の先生方のご尽力に感謝申し上げます。
支部長 飯島庸夫(高22回)期日:令和元年10月27日(日)場所:富士グリーンホテル高橋参加者:7名(含赤地会長) 第16回静岡県支部総会には、赤地同窓会長様がわざわざ駆けつけてくださいました。 その上、バイオリンで屋代高校校歌を演奏してくださったのです。贅沢な時間でした。 毎年、支部総会のご案内をいただいていたのですが、知り合いもいないし…と参加を躊躇していたのです。思い切って参加してみると、会場に貼ってある校旗や校歌斉唱、校歌の演奏で、あっという間に懐かしい高校生活がよみがえってきました。皆様と温かい交流ができました。来年度も絶対参加したいと思います。 静岡県在住の皆さんのご参加をお待ちしています。楽しい時間が過ごせますよ。(湯山小百合・高34回)
支部長 北村憲一(高18回)期日:令和元年10月26日(土)場所:山崎屋参加者:12名 本会より副会長の高山吉富氏をお迎えして支部総会を開催。高山氏より、結婚支援事業「マリーメイト鳩の会」の概要説明、申し込み手順等の説明及び「ホームカミング鳩会」の開催予定について、また今春の卒業生の進路状況と在校生が文武両道を目指して活躍している様子等の報告がありました。 つづいて平成三十年度の会計報告及び監査報告があり、承認されました。記念写真撮影後懇親会に入り、高橋宏元県議が出席されていましたので、近況などを報告していただきました。世代を超えて和気あいあいに時間が過ぎ、校歌を斉唱し、万歳を三唱で再会を約し散会となりました。(報告 事務班長青木幹雄・高11回)
支部長 宮入義彦(高12回)期日:令和元年10月26日(土)場所:雨宮研修センター参加者:14名 来賓として本会より吉川副会長をお招きして令和元年度の支部総会を開催しました。総会は校歌斉唱に始まり、三十年度の会務、会計等の議事が円滑に承認されました。 本会からは5月に開催された総会の内容中心の話がありました。①今年5月からスタートさせた結婚支援事業「マリーメイト鳩の会」の取り組みの概要。②三十年度における屋高生の進路状況や普通・理数科の特色あるカリキュラム編成での取り組み及び同窓会費の使途等々の報告をしていただきました。 今年度は近藤昌義氏から雨宮に関わる歴史の話をお聞きしてから懇親会に移りました。
支部長 野口弘夫(高15回)期日:令和元年10月26日(土)場所:割烹「志麻」参加者:18名 柳澤副会長、徳永事務局長の両名をお迎えして支部総会を開催。事業・決算報告及び予算案を承認。 同窓会の主な事業、母校・生徒の活躍実績としては、国公立大学現役合格県下№1。また全国ベスト200校の順位は142位で県下では3位。また運動班及び文化班が全国大会に出場したことなど、その経過と内容を詳しくご説明いただきました。 懇親会に移り、滝澤顧問(高10回)の発声で乾杯、会員相互の近況及び在学中の思い出に浸りながら時を忘れて楽しい時間を過ごし、校歌・応援歌を斉唱して解散しました。(副支部長 藤澤善雄・高16回)
支部長 宮﨑一雄(高20回)期日:令和元年9月14日(土)場所:桑原中区公民館参加者:13名+吉川副会長 令和初年度の総会を、前柳澤支部長より引き継ぎ、不安のあるなか9月14日6時より桑原中区公民館において開催。高齢等により退会者がありましたが、会員の呼び掛けで新会員二名が加わり、支部会員34名中12名が参加でき開催できました。本会からは吉川副会長に出席いただき、母校の活躍状況、鳩会の現況などの説明を受け、母校の躍進に誇りを感じました。 総会終了後は懇親会に移り、盛り上がることができました。今後の会の在り方については、如何に若い会員の参加ができるか、工夫が必要と感じました。
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